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異変はアンカーを変えた翌年、1971年に起こりました。
確実視されていたメキシコ代表枠からサンチェスは漏れてしまったのです。
その翌年のメキシコ国際大会も全くいいところがなく、参加者64人中60位に終わっています。
そして同年のメキシコ国王杯を最後に、サンチェスは表舞台から姿を消すのでした・・。
「ここのところ結果の思わしくない状態が続いている。原因は自分でもわかっている。アンカーだ。 舌をできるだけ出した結果、リラックス出来なくなった上に味覚が極端にぼやけてしまった。 元のアンカーに戻しても、以前のように弦の味を強く感じることが出来なくなっている。 舌先の感覚が鈍ってしまっていて、意識すると余計わからなくなる。最悪だ。 この悪循環から逃れる術(すべ)は一つ、意識しなくとも味覚を一定にできるような強い辛さだ。 残念ながら今手に入るどんな強い辛さも条件に合わなかった。 どんなことをしてでも、条件に合う辛さを見つけなくてはならない・・。」 (Archery scope1972年五月号) そのコメントを最後にサンチェスは表舞台から姿を消します。 五年後の1977年、サンチェスは復帰します。 ブランクをものともせず、全メキシコ選手権、メキシコ国民大会、 そして因縁のメキシコ国王杯でも二位と大差をつけての一位となります。 「理想の辛さを見つけるために世界中をまわった。 非常につらい旅だった。 途中で何度も(これは最早アーチェリーと関係無いんじゃないか) などと頭に浮かんだが、必死に振り切った。しかし結果の出た今、 あの旅は間違いでは無かったと確信している。」 (Archery scope1978年七月号) しかしその翌年のメキシコ代表枠選考会で、再びまさかの代表漏れをします。 「原因は雨だった。雨で味が流された。雨に負けない味を見つけなくては ならない。」 (メキシコ代表選考会後のインタビューより) そのインタビューを最後に、サンチェスは再び表舞台から姿を消します。 そして彼は、未だに帰っては来ていません。 彼が今どこで何をしているかは誰も知りません。 ある人は上海の中華料理店で彼が厨房にいるのを見たといいます。 ある人はチリの唐辛子畑で働いているのを見たといいます。 しかし事実は依然霧の中なのでした。 彼は未だに究極の辛さを探しているのでしょうか? もしかしたら意外な場所にいるかもしれませんね。 たとえばそう、あなたの後ろに・・・。 |