張 竜浩


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韓国のトップ選手、ジャン・ヨンホ。 世界記録13個の内5個の記録を持つ彼の名前は知っていても、 その生い立ちを知る人間までは あまりいないのではないでしょうか。 以下は彼の金メダル獲得までの話です。



ジャン選手が5歳のとき、生活の貧しさに耐えかねて、 彼の父母は出稼ぎのために家を出ました。 しかしその後、彼等は帰ってきませんでした。 一緒に残された祖父母と、 日雇いや人の田んぼの小作人をやって暮らしていました。 そんな彼がアーチェリーを始めたのは小学校四年生の時です。 素質が見え始めた彼は、勉強が面白くなかったこともありましたが、 貧しい家計を助けるために、学費が全額免除され、 体育学校に進学することを決めました。



高等学校に進学した彼は練習の虫と呼ばれるほど集中しました。 ふつうの高校生が一日300から400射を撃つのに対して、 彼は500から600射を射ちました。 そのためか技術が目を見張るほど上達し、 2年の時は国体2冠を制しました。 十九歳だった95年にナショナルチームに入り、 現在頸部醴泉郡庁に所属されています。



ひどい腰痛にも耐えた彼の一番の挫折は、 アトランタオリンピック直前に知らされた祖父の訃報でした。 その時の結果は銀メダルだったのですが、 結局祖父はメダルを見ぬままこの世を去ってしまいました。 その後、父から15年振りに知らせがありました。 家にも帰ってきました。 しかし彼はあえて父には会いませんでした。 その後一緒に暮らすどころか、 未だに向かい合って話をしたこともありません。 たまにかかってくる電話に、曖昧な受け答えをするだけです。



シドニーでは個人戦では予選でトップでありながら、 あまりの緊張のあまりに実力を出しきることができませんでした。 しかし、負けた後に祖母が言いました。 「そうですか、けど天国にいるお爺さんが助けてくれるはずです。  だから緊張しないでいきなさい。」



「その言葉が力になりました。お爺さんがそばにいると思うと  心強かった。」(ジャン選手) そして団体戦では韓国はイタリアを倒し、金メダルを獲得できました。



「今でも弓を引くとき、たまにお爺さんのことが思い浮かびます。  今でも一緒に暮らせていたならどんなに良かっただろう、と。  一番悔やまれるのが、生きているうちに  何故そう考えられなかったのかということです。」




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