俺達の「こころ」は常に動き続けています。ココで取り扱っているのも「こころ」の病についてです。でも、「こころ」って目に見えないものですよね?身体の病気と違い、心の病気はレントゲンや血液検査では解らないものです。一体「こころ」って…?という事を少しお話したいと思います。

心の「正常」と「異常」

まず「正常な心」とはなんでしょう?一般には「防衛操作が行える人」のことを正常と言います。「防衛操作」というのは以下の4つの機能を言います。
  1. 抑圧:受け入れられない記憶や感情を意識から追い出したり心の中に深く押さえ込む事で、その行き場は無意識です。(抑圧された内容は、神経症症状の元となることがあります)
  2. 知性化:知恵を働かせて納得すること(欲動に対してその欲動と情動をコントロールしようとすること)知性化の課程が欲の代理満足をもたらします。
  3. 合理化:つじつまが合うように考えて解消すること。
  4. 昇華:理想化あるいは社会的に高く評価される方向に向かうこと。
人間はこの4つの防衛操作を使い、不安や不満の軽減を行います。
今、「正常な心」について書きました。では、正常と異常の境界線はどこにあるのか?というところですよね。テストの赤点みたいなものは簡単に線が引けます。でも最初に書いたように、心は常に動いており目に見えないものです。それに、その時の状況によって、心に変化があることは当然のことですから、境界線はなかなかひけないのです。
では、どんな尺度で境界線を引くのか、という事を話します。境界線を引く尺度は、量・質・調和という3つの秤を使います。え?心は測れないって?ですよね(笑)そうなのですが、一般の「正常」を定規と見立てて医師は測っているのです。
  1. 「量」について:例えば…大事な人やペットなどが亡くなってしまったら誰だって落ち込んでしまい、事実を受け入れられずに、呆然としたり、仕事や勉強など何も手につかなくなったり、人と会いたくなかったり、逆に人に一緒にいて欲しかったり…というのは当たり前のことですよね。でも、日が経つにつれてそんな悲しみからも立ち直り、事実を受け止められるようになり仕事に復帰したり、たまに寂しい想いになっても乗り越えられたりするものです。これが「正常」な反応ですよね。ただ、それが何ヶ月も仕事場へ復帰できなかったり、何年も落ち込んだままの状態だったり、それを苦に自殺を図ったり…となると、どうでしょう?これは決して正常ではありませんね。異常は正常の延長線上にあるという捉え方が出来ます。また逆に、全く悲しまずにいる人というのも異常な反応だと言えますよね?正常な感情の「量」が多すぎても少なすぎても「異常」になるということです。
  2. 「質」について:例えば、仕事に失敗したり、失恋したりしたときなど、気が滅入ってしまい「誰かがバカにしているんじゃないか」とか「笑われているんじゃないか」というような被害妄想的な感情を抱いた事はないでしょうか?こういう原因があっての一時的な妄想などというのは、時間が経過するごとに消えていき自分の考えすぎだったな〜、なんて思うことはよくあることです。正常な人と言うのは、その程度の「妄想」止まりですね。ところが、「異常」とされる人は、妄想や幻聴などを常に(もしくは頻繁に)感じています。「野良猫が自分をバカにしてる」とか「歩いているとみんなが自分の悪口を言う」 というような誰にも聞こえない音がその人だけに聞こえてくるのです。「質」というのは正常心理の延長線上ではなく、あるかないか、という尺度みたいですね。
  3. 「調和」について:例えば、ひとつひとつの言葉はおかしくなくても、話を聞いていくうちに「常識からずれていておかしいな」と感じることは多いと思います。日常でもよくあると思うのですが、それで生活に支障がなければ…という考え方もあります。あまりにも悪い方にずれてしまうと(犯罪を肯定したり)「異常」となるようです。
なにはともあれ、正常か異常かという線を引くのはあくまでも医師です。心の病の診断がなかなかつかないのは、このような尺度で医師が観察しているからなのでしょう。

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