逆にですね僕や現場の気持ちとしては、『一度見てわかられてたまるか』という気合いで作りました(笑)。と言ってるので何度か足を運んで愉しむ作品だと割り切る。鑑賞は一回に抑えたいとか経済的・時間的に無理がある場合は各所のレビューやここみたいなまとめサイト・FAQを一通り見てから行くといいかと。監督曰く
何度でも何年でもお客さんの視線に絶える強度を目指しました。とのこと。DVDを待つというのもあるが、画の大部分が潰れてしまうので注意。
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「イノセンス」という名の“罠” 押井守監督に聞く(2004/3/16)― 他の映画なら二次元との一体化が課題である3DCGが、浮いたままになっている印象を受けました。「現在の技術では これが限界」だと言う人もいますが、そうであれば、押井監督が許すはずないんじゃないかと。
押井 現在の技術なら、同化させようと思えばできます。違和感があると感じるのは、こちら側が意図的にそうしているからです。
―意図的に違和感を作り出そうと思った理由は。
押井 二つあります。一つは、文法を変えてみることに興味があった。アニメーションでは、登場人物など「動くもの」を追っていれば物語は追えるようになっていますが、登場人物が動かずに、背景が動くと何が見えてくるのだろうと。もう一つは、仮想現実、あるいは夢の場面を三次元で表現してみたかったということです。映画で夢の場面が登場すると、大抵は情報量を減らすでしょう。輪郭もぼやかして、できるだけ抽象的にする。それが「夢」だということになっている。僕がやりたかったのは、その逆です。主人公バトーが訪れる食料品店やキムの館など、仮想現実に該当する場面では、背景を3DCGを用いてできるだけ具体的に描いています。ですから、バトーの部屋などいわゆる「現実」の場面の方が描き込まれていません。
…続く
(ユリイカ4月号 特集=押井守 イノセンスのゆくえ 青土社:amazon)CGもっとなじませましょうよとスタッフに何度も言われたし、悪いなとは思ったが、あれはなじませたくなかったからなじませなかったのです。
これまでのハダリの暴走は全て「事故」として処理されている、9課は「要人の暗殺では?」との視点で今回介入した。証拠はこの時点では無いので理由なく「押収」はできない。
体内の蛋白質を構成するアミノ酸は、全て鏡像異性体の片方のL体である。というのも何かありそう。
製作委員会用資料に”キムが最後にしかけたプログラムによって暴走を始め…
”と書いてある。オシイのお墨付き。
トグサの「こいつ(キム)の電脳、警備主任に直結してやがる」という台詞と、甲冑ロボがハダリの暴走に対処する際の、
「潜伏型ウィルス云々」という台詞で、あらかじめ、キムが準備していたことも分かる。結局、中盤から最後までずっとキムと戦ってた。
A. キムウイルスは、ハダリに作用しているのではなく、システムに作用している。ウイルスに感染してしまったシステムがハダリをコントロールし、暴走。だからシステムとそれ以外を遮断させれば、ハダリも止まる。
A1ウィルス→2システム→ 3船の中継→ 4ハダリ暴走(字幕「最終製造工程に非正規入力。戦闘用義体プログラムロード完了。」)
↓
B1ウィルス→2システム→ 3船の中継遮断→ 4ハダリ停止
システムのほうから2-3か3-4の接続を切ってしまえばいい。
「イノセンス」という名の“罠” 押井守監督に聞く(2004/3/16)2ページ次項も参考に。押井 そもそも、演出とは意外性でしか表現できないものです。観客はそこで一種の違和感を覚え、意図を探ろうとする。印象にも残る。省略の巧拙こそが作品の巧拙であって、説明されなくても推測できればいいんです。
つまり、単なる人形に過ぎなくてもそこにゴーストがあると「自分」が認めればそれは人間だということ。 そのことは少佐の登場シーンで例証されるわけで、空から降ってきたハダリがそれっぽいというだけで、本当はPGかAIかもしれないにもかかわらず 我々はハダリを少佐だと認めてしまう。
それでバトーは冒頭のハダリを人間扱いして怒ったのだと考えられる。
ただ、その後のオチは辛らつで、少女の叫びにあるように、自分がそうだと思っていたとしても、他人とその意識を共有できない場面はあるわけで
そうした場合にはバトーのように苦い顔して沈黙するしかないのだ。
([書籍]ユリイカ4月号 特集=押井守 イノセンスのゆくえ 青土社)
(「最後のガイノイドがだんだん素子顔になっていった」という話の流れを受けて)
押井 描いた人間も自然にそうなっちゃったんだと思う。ほかにも、そういう無意識が出た絵は何カ所かあったよね。
バトーが素子に防弾ベストを着せたシーンなんて、一瞬にして大きさが変わってる(笑)。
上野 自分で言っちゃだめじゃないですか(笑)。
押井 いや、人から言われる前に、自分でツッコンでおかないと(笑)。そういういい加減さは実は随所にあって、
すごく緻密に作られている反面、すごく杜撰にも作られているんだよね。トグサの娘が人形をいつ出したんだ
とか(笑)
「キル・ビル」から「イノセンス」へ 石川社長の“戦い”(2003/10/27)より以下引用
―「イノセンス」というタイトルも鈴木プロデューサーのアイデアだとか。
石川 当初は「攻殻機動隊2」というタイトルでした。しかし、これも鈴木さんに怒られましてね。「なめるなよ、石川。12万人しか動員していない作品の続編が、どうして売れるんだ」って。自分ではそんなつもりはありませんでしたが、ちょっと浮かれていたのかなと思いましたね。
「イノセンス」という名の“罠” 押井守監督に聞く(2004/3/16)[まとめ編者]あるとしたらSAC版の映画かなぁ。神山健治監督のお茶の間向けエンターテイメントな攻殻を見たいw―押井監督が作る「攻殻」は、完結したのでしょうか。
押井 3本目はありません。あると言っている人もいるみたいですけど。大体、作品に関わる人間がもう面白がらないんじゃないかと思います。今回、アニメーターたちの意気込みには本当に驚かされましたけど、それは、「攻殻」の制約された環境への反動もあってのものです。もちろん、食えなくなって要求があれば僕も彼らも仕事ですからやるでしょう。しかし、アニメーション制作を単なる「お仕事」にしちゃ駄目ですよ。本当にそう思います。
澁澤の「ベルメールの人形哲学」人形、四谷シモン、ハンス・ベルメール…とくれば澁澤龍彦です。映画「イノセンス」を理解する手助けにはならないと思いますが、「イノセンス」から派生する観念をかんがえるときにはいいのではないか。澁澤龍彦のエッセイ「玩具考」「ベルメールの人形哲学」「人形愛の形而上学」を監督の押井守さんが読んでいることはたしか。※
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映画「イノセンス」の魅力に迫る30分。ZIP-FM 77.8MHz(3月末公開終了)[24:30]鈴木「愉しめばいいんですよ映画って。いろんな部分で自分の分かる部分だけで愉しんで、分からない部分はこれからの長い人生の中でゆっくり考えよう、これが映画なのよ。分かるわけ無いじゃない。僕ら子供の頃だってね、おじさん達がやってる深〜い言葉あるでしょ?わかんないんだけど、オトナになったら分かるのかな?って感じあるでしょ。それが映画なの。」
鈴木「映画には不思議が残ってないとダメなの」
鈴木「聞くときは一個だけでいい。『どのシーンが一番好きでした?』次、答えるでしょ。『何で?』って聞くの。それで大体答えが出てくる」
押井「それは、なかなか深いね。どのシーンが良かったかってことでその人が分かるね。現れるっていうかね。何を望んでたのか。
映画ってさ大体さ、映画全体を思い浮かべるなんてことは不可能なんで、自分でも良かったなっていう、あの辺が好きだなって思うときにさ、ある情景とかねあるキャラクターとかねある俳優とかね、それがまず出てくるわけでしょ。そこを根拠に辿ってくんだよね。
こういうシーンもあったなとか、ああゆうシーンもあったなとか、こういう話だったなとかさ、一番最初に出てくる画とかね人間って誰なんだろうってろころが、その人間にとってのその映画の買う価値っていうか値打ちなんだよね。」
回答は2chのスレからコピペだったり、管理人の回答だったりどこぞで拾ってきた感想だったりします。
違う!私はこう考える。と思うのなら映画板等のスレに書き込むとこっそり拾われるかもしれません。 |д゚)