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☆編集'雑'記 - 2001年8月 -

 暑い日が続く。そんな暑い日でも子どもたちは毎日元気に遊んでいる。
 夏休みに入ってすぐ、娘は学童保育ではじめてのディキャンプでフィールドアスレチックへ行った。
 あちこちの公園などでアスレチックに慣れている娘は、大勢の子どもたちと一緒に泥ん子になりながら楽々とクリアしていったようだ。まったく、着ているものだけでなく顔から腕から泥だらけ、そして足には擦り傷という感じで、田舎の腕白小僧という風情。
 それでも数日後のピアノの発表会では、きれいなドレスを着て、初めての発表会でもちゃんと間違えずに課題曲を弾き、まるでお嬢さんのよう。ディキャンプでの泥ん子とは別人28号だ(笑)
 初めての通信簿でも、親の期待を良い方に裏切ってくれて、勉強に、遊びに、習い事に、全力投球の娘はますます頼もしい。
 けれど、親としてはこれが普通と考えないようにしておかないといけない。子どもは親が考えているよりもずっと無理しているのだ。
 娘の、初めて尽くしの夏休み。私たちは健康管理に気を付けて、過度の期待を掛けずに娘の成長を見守ろう。

 明石で起きた歩道橋の上での将棋倒し事故。亡くなられた方々は本当に気の毒だが、この事件の詳細が分かってから、私は次のような感想を持つに至った。
 まず最初に思ったのは、まさか国内でこんな大事故が起きるとは、ということ。海の向こう、南米のサッカー競技場などでは、こういった群衆の事故がよくおきている。しかしそれは、簡単に興奮状態になってしまう”国民性”のようなものだと考えていたから、比較的冷静で保守的な国民性を持つ日本国内で同じような事故が起きるとはまさに意外だったのだ。
 では次に、なぜ日本国内でそういう”意外”な事故が起きたのか。一つの原因は、観客の側の、日常生活での”リスク”に対する感覚が麻痺してしまったのではないか、ということ。そして、もう一つは主催者や警備の側の危機意識の低さ、であろう。
 報道によれば、昨年の年末の”世紀越えイベント”で、すでにその前兆があったという。花火大会の会場となった海岸と、最寄り駅とを結ぶ最短経路は歩道橋以外にはなく、”世紀越えイベント”の際にも歩道橋は大混雑し、まったく身動きがとれなかったという。
 そういう過密で、身動きが取れないような、半密室状態の場所では人の流れを誘導するなどして、事故を未然に防ぐ措置が取られなければおかしいのだが、主催者である明石市も、警察もその危険性を甘く見ていたようなふしがある。人命軽視というべきか、住民の生命の安全をまず第一に考えるべき行政と警察の職業倫理が問われよう。また、そういう場所そのものに”危険”を感じとれない観客自身の感覚の鈍さも、この大事故を起こした要因の一つと言えるのではないだろうか。
 これはまさに、外務省の公金横領などに見られる、プロフェッショナルによる職業倫理の低下や、自分自身の考えを持つことが出来ない典型的な日本人像、という問題と同根である。
 日本はいま、さまざまな場面で「改革」という言葉を見ることができるが、私はこの将棋倒し事故に触れて、そういう「改革」を実行に移す前に、何よりもまず国民全体の「基礎体力」を向上させておかなければ、この困難を乗り越えることができないのではないかと思っている。

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