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☆編集'雑'記 - 2001年9月 -

 夏休みの思い出。
 共働き世帯の子どもたちの夏休みは、ほかとは少し違った夏休みだったかも知れない。
 平日の朝、我が家の子どもたちは夏休みでも朝寝坊なんかはさせてもらえず、いつもと同じように7時頃に起こされて、急かされながら着替え、軽い朝食。そして、おチビちゃんはパパと自転車で保育園へ、お姉ちゃんはママと学童保育へ。それからパパやママが迎えに来るまでの約10時間、同じような共働き家庭の子どもや、保育士の先生たちと過ごしている。
 夕方のお迎えはパパだったり、ママだったり、ときにはベビーシッターさんだったり。お腹がすいてるから、家に帰るとすぐに何か軽いものを食べ、テレビを見る。台所では大急ぎで夕食の支度。パパがお迎えの日はママが、ママがお迎えの日はパパが遅く帰宅するので、家族全員が揃って食事できるのは週末くらい。
 でもお姉ちゃんは、夏休みの宿題の絵日記に書く題材には困らなかったようだ。パパに連れられてお友達と4人で行ったポケモンの映画や、旅行先の伊豆での川遊びや遊園地、近所の公園でやった花火や、ミニパーティ・・・。
 でも結局最後に描いた2つの出来事は・・・・それは内緒!(笑)

 上にも書いたとおり、共働き家庭の日常は、私自身が子どもだった頃の典型的な”家庭の風景”とは明らかに異なっている。
 私がずっと小さかった頃は、学校から帰れば母や祖母がいたし、お腹がすいたら茶箪笥の棚や冷蔵庫などからおやつを取り出して食べたり出来た。「鍵っ子」ということばとは全く無縁の子供時代だった。
 核家族化が急激に進んだ現在と比べてみて一番感じることは、家庭と家族の関係とか役割とかいったものの変化だ。家族的役割についての「アウトソーシング」(外注)と言うべきか。とくに「保育」は、大部分を保育園や幼稚園に依存している。「食事」も、我が家ではなるべく自宅で調理したものを食べるようにはしているが、やはり時間がないときや疲れているときなどは出来合いのものを買ってきたり、外食で済ませてしまうこともある。夫婦や親子の会話などもとても十分だとは思えない。
 それが”現代の姿”と諦めてしまうことは簡単だが、「本当にこれで良いのか?」という不安があるのも確かだ。
 人間同士の「コミュニケーション」さえもインターネットで代替(主婦がチャットやメールにはまるのは、家庭での不足分を補うため?)できる現在、”家族の形”がどんどん小さくなっていくような、そんな気がする。このまま行けば、セックスレス夫婦が夜の営みさえ外注しはじめるかも!?

 そのとき「家族」に残るものは一体なんだろう?

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