わたしを苦しめた双極性気分障害について・・・


ここに、双極性気分障害=躁鬱病に苦しめられたわたしの経過のエッセイを書きますね。
2002、Aug.20提出のエッセイです。

「言葉で癒すセラピスト、心のケア―の大切さ」

 わたしは、自分を躁鬱病だと思います。・・・だと思うと、言ったのには理由があります。その経過と、なぜ?わたしがそう言ったのかを、お話していきます。                                      
 最初に鬱になって、仕事ができなくなりました。13年前です。大学病院で、心理学的な検査もいっぱいしました。しかし、よくなりませんでした。焦ったわたしは、自ら入院を申し出ました。当時、心療内科などはなかったので、精神科でした。この言葉に、どれほど抵抗を感じたかわかりません。しかし、そのときの精神状態が悪くて、何とかしてもらいたい、早く治りたいという一心で、精神科に入院しました。家族は母と弟だったのですが、母も弟も親戚などに話さなかったので、入院生活は周りに隠されたままでした。婚約していた主人でさえ、お見舞いに来てくれませんでした。そのときに、やはり精神科の門の重たさ、そしてわたしの病気の切なさをしみじみ感じました。
 約3週間の入院生活を終えて、わたしは決意しました。もう、医者に頼らずに自分でなんとかしようと・・・・。お薬もいやでした。結婚、出産を控えていて、お薬はなんとしても止めたかったのです。退院後、自宅療養で通院も止めました。薬を一気に止めると、酷い禁断症状が出ました。震え、めまい、特に、背中に重いコンクリートが乗っているような感じは、たまらなくいやでした。身体が重くて、なにもできなくて、毎日だらだらと、横になって過ごしました。                                   
 2ヶ月ほどで、なんとかしんどいながらも、動けるようになり、結婚の準備に入りました。ただ、気持ちというか心がまだ、痛んでいたのでしょう・・・・。楽しい筈の結婚の準備が、目の前のことをこなしていくだけの作業になっていました。「楽しい」、「幸せ」、っと感じていませんでした。半年後に結婚しました。少し感覚が戻ってきて、結婚式、新婚旅行は、人並みに楽しかった思い出があります。              
 1年半後の出産。これは一番心配しました。精神科で飲んでいたお薬の副作用で、なんらかの異常がでないかと・・・・。生まれたとき、嬉しいより先に、子どもの指の数を真剣に数えていたことを思い出します。その後、幸せな結婚生活、子育てが続きました。       
 そして、長男が小学校に入学した4年前の夏、再び、鬱がやってきたのです。3週間程の気力がない状態が続き、今度は心療内科の扉を叩きました。その頃、心療内科は流行っていて、鬱というのもそんなに重い病気というイメージがなくなっていました。精神科より心療内科は、はるかに入りやすかったです。そこのクリニックが、近いというだけで選びました。先生もよく話を聞いて下さる方でした。
  坑鬱薬による治療が2ヶ月続きました。効き目がなかなかでない薬なので、焦りが出てきました。そのころお薬は、坑鬱薬に、安定剤、睡眠薬、副作用の便秘薬・・・と、8種類くらい飲んでいました。しかし、わたしは、医師の言われるまま服用していて、薬の効用とか副作用について、詳しくは知りませんでした。インフォームドコンセント、この言葉を聞いたのは、この頃でした。患者として、自分の飲んでいる薬について、いろいろと詳しく知る権利があることを知らなかったのです。                                  
 医師は、わたしが聞いてもあまり詳しくは教えてくれませんでした。でも、あるとき躁転(鬱状態から、躁状態に変わること)しました。急になんでもできるようになり、気持ちも強気になったわたしは、先生に薬のことを詳しく聞きました。かなり強い坑鬱薬でした。・・・・・あとで、知ったのですが、躁転してもしかたがないくらいの薬の量と強さでした。これで、今まで鬱病だったわたしは、躁鬱病に変わったのです。
 医者にかかるのは怖いというイメージがわたしの中にできました。躁状態で、クリニックに通うのを止め、しばらく何でもできる状態が続きましたが、また、鬱がやってきました。躁鬱病とは、テンションの上がった躁状態と、下がった鬱状態を病的に繰り返すのです。
 何回かの躁と鬱を繰り返して、クリニックも3回ほど変わって今の医師に落ち着きました。何が良かったかというと、先生が最初に「一緒に治しましょう」とおっしゃったことです。心細かったわたしには、その響きがとても心地よくて、鮮明に思い出します。お薬のことはもちろん、治療の細かいことまで、なんでも話して下さり、長いときにはわたし一人に30分近くも診察して下さいました。とても感謝していて、信頼できました。
 その医師のもと、約2年半治療を続けました。医師は、軽鬱状態がいいと言いましたが、治療に限界を感じたわたしは軽躁状態がいいと思い、自ら治療をはじめました。まず、食生活を見直しました。体を創っているのは、やはり毎日の食事だからです。友人の栄養士や、最近の健康ブームで健康アドバイザーの仕事をしていらっしゃる方のアドバイスをもとに、日々、口に入るものを一つづつ見直していきました。
 そうすると、不思議なことに身体の調子と共に、考え方が前向きになってきたのです。睡眠も眠れないことを気にしないことから始めて、薬に頼らずに、眠たくなったら思いっきり眠るようにしました。なんと1週間で、睡眠薬から開放されたのです。睡眠時間が短くても気にしないことだと思いました。 便秘の方も気にしないことで、良くなってきました。躁鬱のお薬の方も1種類になりました。毎回の診察で落ち着いているということで、どんどん減っていったのです。その最後のお薬も副作用が出だしたので、中止となりました。5月には、3年半もお薬なしでは安定しなかったわたしの身体が、お薬なしで毎日元気に過ごせるようになっていたのです。        
 現在、わたしは益々元気に毎日を過ごしています。夏ばてもしていません。病気だった頃のわたしは、全面的に医師に頼っていました。それは、そうせざるをえないほど大変な状態だったのです。しかし、医師の薬の調合だけに頼っていたら、こんなに早く回復してなかったと思うのです。日本では、まだまだ医療の面で、医師とセラピスト(カウンセラー)の同時治療が、されていません。つまり、医師に投薬をお願いすると同時に、セラピストによる精神面、心のケア―が、少ないように思います。気分的に落ち込んでいるときには、よく聴いてあげる人。そして、ちょっと気持ちが上がってきたとき、(わたしは、この時が病気をやっつけるチャンスと思っていますが)セラピストによるどういう風に、病気をやっつけていくか?というアドバイスが、患者にとって、なによりもありがたいと思います。わたしの場合、栄養士の友人と健康アドバイザーの方が、この役割をして下さったのです。
 人間、言葉でしか意思の疎通はできないのですから・・・。
専門家による暖かい、心のこもったアドバイスが、現在の医療には、とても必要だと思います。     



minny's Garden へ