|
藤懸久明(ふじかけ・ひさあき)
1.えびすさんと聴覚障害者?
「えびす」という七福神の神が、聴覚障害者問題に積極的な関西で大変関心を持たれている
そうだ。
なぜなら、七福神のうち、「えびす」は聴覚障害者だからである。「えびす」が聴覚障害者だか
らこそ、関西のえびすを祭る神社では、参拝者がドラなどを叩いて大きな音を立てるのである。 関西において「えびす」という単語を表す手話は、両手で両耳の耳たぶを下に引っ張って表現 される。こういった手話表現があるのは、関西の聴覚障害者に、「えびす様は、聴覚障害者だ った」という誇りと、そこから生まれる強い愛着が存在するからなのであろう。
2.人権救済申立
「聾学校で手話を使わせない人権侵害が行なわれている」として、聴覚障害児と親の計107
人が、平成15年5月27日、手話による授業実現を求め、日本弁護士連合会に人権救済の申し 立てをした。その申立書によると、手話を禁止する学校教育の結果、聴覚障害児には、学習 進度の遅れ、心身発達の阻害、過重な精神的負担などが発生するという。
3.聴覚障害児の家庭教師事業
札幌には、聴覚障害学生のための家庭教師ボランティアがある。一般的な家庭教師派遣会
社が派遣をする家庭教師の場合、いくら熱意があったとしても、聴覚障害を知らないために、う まく指導ができないこともありうる。しかも、この家庭教師派遣を受けるには、高額な費用がか かる。
ある聴覚障害者は、「中学の時、よく先生や友達が私の耳元で大きくゆっくり話してました
が、それは私にとっては迷惑でした」として、視覚情報を求める。通常の家庭教師や学校で は、聴覚障害に対する配慮がないことも多い。聴覚障害学生には、健聴学生のような耳学問 がないことも配慮されなければならない。
4.フリースク−ルでの手話教育
聴覚障害児の学習を補う有効な手段として、フリースクールがある。それは、通常の学校に
通学しながら通う「放課後学校」である。
フリースクールで使われている手話のレベルは、市民手話勉強会などに見られる上級者クラ
ス程度の極めて高度なレベルである。
北海道の障害児学校では、手話のできない教員が多く、しかも聴覚障害児の親達は、効果
的な養育相談の場を得られないという問題がある。一方、大阪などのフリースクールでは、親 達が気軽に養育相談を受けることができる。
5.そして、えびすさんとの関係
カナダのケベック問題などに取り組んでいる政治哲学者、チャールズ・テイラーは、「平等な
尊厳」について、「全ての人間が等しく尊敬を受ける価値があるという観念」としている。
教育関係者が手話を禁止したり、手話を必要ないと考えるとすれば、それは排除の論理という
ことになる。
しかし、人と人との連続性を求めることによる共同体の構築にとって、排除の論理は障害で
ある。そこにおいてこそ、聴覚障害者の権利がおのずと尊重される。
北海道の「みんな同じ」という発想が、表面上差別の見えない社会を築き上げている反面、
それは聴覚障害児に手話言語を得る機会を与えず、問題意識も持たせない社会を作ってしま っている。
「みんな同じ」という発想の連続性の面を活かしながら、差異を認めあう社会を構築しなけれ
ばならない。
聴覚障害者の権利意識を広げるには、「えびす」という手話表現を自ら進んで日本中に広め
ることを考えてみてはどうだろうか。
略歴
藤懸久明(ふじかけ・ひさあき)
平成14年、札幌学院大学大学院法学研究科修士課程修了。社会保障法専攻。
札幌学院大学法学部在学中、「札幌学院大学ノートテイカー・ボランティア」を設立。現在は、
「北海道情報保障ボランティア」として、諸大学の聴覚障害学生とボランティアの橋渡しや連 携、ノートテイカー普及活動、聴覚障害児教育活動を全国的に展開中。憲法学会会員。
|