「OGFオリガンリレー小説〜ケ・セラ・セラ〜」 第36回更新分
相変わらずコクピットの中に引き篭っているクオンである。今まで生きてきた中でこんなにも長い時間、人の輪から外れていたことがあっただろうかと、幾度となくそう思いながら、その思いを振り払うべくウルスラのデータベースに目を奔らせていた。
「G-エボリューションに……名称未設定ナンバー5。やっぱり、こいつもか」
これまでに度々攻撃をかけてきた『概念』タイプ以外のモビルスーツ軍団。敵から奪った『概念』のコピー品であるウルスラのアーカイブには、そのモビルスーツ群のデータがあった。しかし今、それを発見した僥倖よりも、その機体データのすべてに例外無く書き込まれていた冗談の箇所がクオンの頭を悩ませていた。
「プロダクト、バイ、オー・ジー・エフ……っと」
鼻腔から緩く息を抜いて一端ディスプレイから顔を離す。例えばこのとき彼に、連盟のメインシステムにアクセスできる権限なり、度胸なりがあったなら、そこに類似した機体のデータを見つけて更なる苦悶に陥ることもできただろう。
こんこんと、ハッチを軽く叩く音が聴こえる。クオンは不必要なほど慌ててディスプレイの表示を消し、それから、消していたメインスクリーンを立ち上げた。
しかしハッチの前に人影らしきものは映っていない。不審に思ったクオンは、銃把に手を掛けてゆっくりとハッチを開ける。
「そんなにびびるなよ青少年」
「うわっ……わっ、フィリスさん……?!」
ハッチが開き切った瞬間、目の前にいたのは紛れもなくフィリスだった。コクピットから出かかっていたクオンを押し戻すように、少女の銀髪が揺れる。驚いた時には既に手から銃が奪われ、その切っ先が逆にクオンへと向けられていた。
「これを造ってる現場に居たんだから、カメラの死角だって知っていてもいいでしょ?」
戸惑うクオンからの、無言の疑問にフィリスが答える。確かに、急造であるこの機体にはそういった、細かい不完全な箇所が幾つかある。そしてそんなことを知り得るのは直接この機体に携わった者くらいだ。
「それじゃあ、この世界のフィリスさんじゃないってこと」
構えた銃口が顎で促すように、クオンをコクピットの奥へと押し込む。フィリス自身も完全にウルスラの中に収まって、ハッチが閉じられる。
「失礼なこと。私の存在は分岐なんかしないわ」
「そんな風に言われたって分かりませんよ」
用を終えたとばかりに、盗られていた銃が投げ返される。
元々整然さを欠いた狭いコクピット内がさらに狭苦しくなる。クオンを元のシートに座らせると、フィリスはシート裏のわずかな隙間に落ち着いた。
「それで、何です?」
「簡潔に言うから聞き返さないでよ」
「……ええ」
「あなた、このままだとじきに消滅することになる」
足の位置が定まらないからか、やや苛立ちのある声でフィリスは話を始めた。
「分かるでしょ。連盟で、実際にWEB-RINGを使って世界を渡っていたのがだいたいあの子ら3人だけだったのが。世界を跳躍するには普通の人間じゃなく、ある程度の資質やら条件が必要なの」
「ああ……そういうこと、やっぱり。そうですか」
そう長くは考える間を置かず、平静の調子であるように軽く相槌を打つ。背中で話をされるのが何となく嫌に感じたクオンはシートの上で横向きに座り直す。すると、フィリスはすかさず身を乗り出して、正面やや右のサブディスプレイを弄り始めた。
「なんだ、実感あるんだ?」
「ええ。なんていうか、こっちに来てからずっと……なんか油の中にいるような感じで…………何です?」
「これこれ、ここんところ行ってほしいの」
サブディスプレイは連盟本部周辺の地図を映し、フィリスはそのある一点にマーカーを打った。連盟本部施設やや東の森の中である。
「何があるんですか」
存在する世界がずれているとはいえ、クオンは連盟の護衛部隊員である。本部周辺の地理などは頭に染み付いているし、そこには何も無かったことも記憶しているうえで訊き返す。
「行けば分かるわ」
変わりのない不機嫌そうな口調に応えて、居住まいを正し操縦桿を握る。だがクオンは、ふと思い返してその手を止めた。
「リン達にはちゃんと言ってあることなんですか?」
「リン? ああ、こっちではもう帰ってきてるんだったわね。……フェリオも」
「重要な事だっていうなら知らせておかないと」
「いらないわ。それぞれがやれることやって手一杯な時なんだから、円滑に済むほうがいいでしょ?」
「そう、ですか」
クオンは、一瞬だけフィリスの表情を窺って、それから承諾の返事の変わりにウルスラの歩を進ませた。
細かな状況を差し引いて、リンに続くフェリオの帰還は、連盟全体の雰囲気を良い方向へと活気付かせている。連盟を守ることができなかった方のクオンとしては、顔を見せに行きづらいところでもあった。
「慰めはいるかい兄さん」
「……そういう深読みは勘弁して」
ウルスラは格納庫を出て、そのまま歩行で連盟本部の外に向かう。ウルスラ自体がここの人達にとってイレギュラーな存在ということもあるし、実質的な厳戒態勢が長いこと続いている状態なので、ほんの少しでも刺激になるようなことは無いほうがいいと考えたのである。
フィリスも急ぎの用だとは言っていないし、それに対し文句も付けてこないので、目的の地点まではこのままで行こうと、クオンは思う。
質素な近代風の応接室。棚の中に収まっている数種類の酒瓶とグラスだけがその部屋の生活感を保っている。アクリルのテーブルの上で、ウィンストンはサインした数枚の書類の束を、向かいのソファに座る士官風の服の男へと返した。
「では、これで……」
中年太りで、てかりのある男だが年齢はウィンストンと同等ほどのようである。男はそれには目をくれず、背後の棚から琥珀色のボトルを取り出す。
「少し付き合わんかね」
「いえ、自分は……できるだけ早く帰りたいもので」
ウィンストンは機敏に立ち上がって、ソファの横に抜け出る。
「やはり君は、つまらん男だ」
「次の機会には是非」
「次があればな。我々は助力を惜しまんよ」
男はこのルナツーでは珍しくない、軍人あがりの企業人である。そして、軍であろうと企業であろうと、事あるごとに連盟への介入を狙っている連中が少なからずいるのだ。あからさまな彼の物言いは、無自覚にやや鈍いところのあるウィンストンでも充分に察することができた。
「そういえばあの娘はどうしたのかね」
「あの娘?」
「ほら、君の。若い秘書が前のときも来たじゃないか。今日は、お目にかかっていないのでね」
「レーンですか。彼女なら、今は出港準備をしていますよ」
小型船イノピナップの操舵席に、レーンは腰掛けていた。その横で、少女の姿に戻ったトゥイレッティ・ダンセは、出港に係る権限プロテクトを解除する作業を急いでいた。
「悔しいですけど、やはりこの身体のほうがサイコ・コントロールを通しやすいみたいですわね」
船を出す準備を粗方終えると、ダンセはすぐにイノピナップのコンテナ室へと降りる。コンテナ室内には何ひとつ置かれていない。ダンセはその入り口で、何をするでもなく止まった。
突然、空間の丁度中心あたりに、小さく白い点が浮かぶ。その点は瞬く間に光となって広がり、室内全体を包み込んだ。
「連盟からちょっと離れているというだけで、時間も位置もここまで正確……欠陥品な道具も要は使い様だというところですわ、ね」
光が途切れると、そこには殲滅戦特化の怪物・ナースホルンがその図体を折り曲げて、やっとといった有り様でコンテナの中に出現していた。全身から突き出た砲身が支えて、このままではハッチを取り払ったとしても外に出すことはできないだろう。
「……ここの方々にもわたくしの円舞を御覧にいれるつもりでしたけど、コレでは少し面倒ですわ」
ダンセは軽くナースホルンの胸元まで跳躍して、コクピット周りの装甲を愛撫するように優しく触れた。転送の影響で、装甲は火傷しそうなほど熱くなっている。
「せめて置き土産には気を遣いませんと」
一頻り愛でた後、最後に口づけをして船のブリッジのほうへと戻った。
ウィンストンは物資支援の口利きをしてくれた知り合いのところへ礼を言いに行く途中であった。くぐもった爆発音が遠くで聴こえ、続いて微振動が起こる。
どこも基本的には平和であった世界で、有事の際に迅速な情報伝達がなされることもなく、港で大規模な爆発が起きてほとんどの艦船が入出不能だということがルナツー全体に知れ渡るまでには、半時もの時間を要した。
トゥイレッティ・ダンセとその『概念』を載せた小型船は、その間にルナツーのレーダー圏を越えていた。
飛行すれば一分とかからず目的地に到着しているところを、ゆったりと歩行して向かう。大体五つめあたりのやや大きな段差を、噴射を使わない跳躍で飛び越えたあたりである。
フィリスには、彼に伝えるべきか悩んでいることがひとつあった。
クオンはExeと『概念』の機能で、半ば強制的にこの世界に連れてこられた人間であり、事情がやや変わってきているとはいえこの世界は彼にとっての過去にほかならない。本当ならば既に消滅してしまっていてもおかしくないその存在を保たせているのは、一応の『概念』であるウルスラの存在が大きい。
例えばウィンストンの場合ならば、事情はもっと簡単である。ウィンストンは、連盟の世界とは存在的にほぼ全く重複のない世界からの来訪者であり、彼がこの世界において存在不確定となったり、また世界から切り離され時空遺児となったりすることは無い。
問題なのは、存在として重複しているかどうかなのだ。
「フィリスさんだっていうなら、なにか分かってるんじゃないですか?」
索敵警戒に奔らせているモニターのポインタを、たまに目で追いながらクオンが話しかける。
「何よ?」
「奴らナンバーズの仕掛けてくる大群は、ばっと押し寄せて来たと思ったらさっさと消えちまう。堕として回収したのだって、しばらくして消えちまうんだから。それで――」
地形の起伏が少なからずコクピットを揺らして、クオンの言葉を一端途切れさせる。
「それでさっきフィリスさんの言った話、それと結構関係ある事なんじゃないかなって」
「…………ふぅん。ちょっとは冴えてるじゃない」
考えを読まれたような気になって、表面にこそ出さないもののフィリスは少し動揺した。
「そう。あいつらの使ってる雑魚共は多分この世界から分岐している、ここと近い世界で造られてる」
「近い世界、ですか」
「だから存在の大部分が何らかの重複を起こして、不安定になる。多くの場合、跡形もなく……」
フィリスは最後まで言いかけて、クオンの心中を量って話を止める。彼女にとっては別段、相手の気持ちを酌んでということでもなく、単に社交辞令的なものではあったが。
「それじゃあ『概念』ってのは、つまり」
「他世界での活動を目的として製造されたモビルスーツってこと」
しばらくして、クオンのほうから継いで会話を再開する。先ほどからずっとそうだが、悲壮感は無く、自分のことについて頓着していない様子である。それを見てフィリスは、彼に自身の存在を安定させる方法である、この世界の自身への干渉……時空遺児化のことについて教えることはやめた。
「んっ……と、この辺ですか」
マーカーが打たれた地点。特に拓けているというわけでもない、閑散と木々の生い立つ場所でウルスラは足を止めた。地上用にチューンされていないため酷く揺れたコクピットも静かになる。
フィリスはシート裏から這い出た。それに踏んづけられながら、意図を察したクオンは、自分の股辺りに絡められるブーツの細い脚を除けて腕を伸ばし、コクピットハッチを開放した。ウインチを片手で掴んで、ほとんど飛び降りるようにしてフィリスは地面に降り立つ。
数分ほどその辺りを練り歩いて、なにやら探し出したようである。手を振って合図され、ウルスラはその指図のままにそこの地面を浅く掘った。
すると、すぐに平らな隔壁の一部のようなものが現れた。
「こんな所があったなんて全然……」
「あなたの連盟では無かったかもしれないってこともあるんじゃない」
フィリスがなにか操作をして、モビルスーツ一機がぎりぎり通れるほどの入り口が開いた後、再び二人乗りで、その地下の空間へと進入した。坑道のように、細く、先に続いている。
「約10年前、連盟である事件が起きた」
ウルスラの軽い歩行音が反響する。坑道は、途中からほんの少しだけ広くなったが、まだ標準型のモビルスーツがやっとすれ違える程度で、奥に伸びている。
「当事者は二人。まだ幼い姉弟だったらしいけど、確かな情報がほとんど得られないから、どうだか」
クオンに話すというよりも、自身でその内容を改めて確認するようにフィリスは呟く。クオンは、その話にどういった意味があるのか皆目見当もついていなかったが、とりあえず耳を傾けていた。
「それでその事件ってのが、WEBRINGシステムに関することだったらしいけど、その事件によってシステムの本体は連盟本部からほかの場所に移されることになった……」
「ちょっと待って、そんな馬鹿なことがあるもんですか。ウェブリングって本部にあるでしょう」
「本部内にあるのはあくまで制御端末だけってこと」
納得のいかない事実にクオンは憤った。月へと逃れた連盟の世界では、WEBRINGシステムは完全に破棄されていたはずである。それはつまり、上部の連中は知っていて、下っ端の隊員たちには知らされていなかったということだ。必死になって守ろうとしていたものが、見当はずれの所にあったというなら、それはあまりにも決まりが悪いことではないか。
「ン……!?」
なにか、首筋にざわつくものを感じて、クオンは前方に神経を集中させる。ウルスラのレーダーに小さな反応が掠め、明滅している。その反応が接近してくる。
「モビルスーツ?! こいつは……!!」
クオンの目の前に現れたのは、月で連盟の生き残りを全滅に追いやった機体、ナンバーズの『概念』であるアンスールであった。
操縦桿を握る手が、一気に強張る。だが次の瞬間にはその緊張は怒りとともにはじけ飛んで、その舞い上がった血流を握力へと流し込んだ。アンスールのそそり立つ砲塔が、ウルスラに向けられようとしている。だがウルスラの砲は、既にアンスールをロックしているのだ。
トリガーが引かれる、前に、クオンの視界は斜めに向きを変えた。
「阿呆、起きろ!! そんでもってよく見ろ」
後ろからクオンの側頭部を殴りつけ、左のモニターパネルに沈めたフィリスは、なおもその後、クオンの耳朶に大声を叩き込んだ。
「うう、フィリスさん? ……あれは」
姿勢を正して、クオンは再び前方に注意を払った。そこにはモビルスーツの姿など無く、黒い小さな円筒状のものが浮かんでいるだけであった。
「……何?」
「リフレクター・ビット。知っときなさい。あんたが先刻引き金を引いてれば、それがそのままここまで撥ねっ返ってきてオシマイって代物よ」
ビットはただ規則的な動きで浮遊しているだけで、通り過ぎても何ら別の動きを見せることはなかった。その後も坑道を進みながら、そういったビットが何機か出現した。
クオンは、いつの間にか自分の顔が脂汗まみれになっていることに気付いた。耳鳴りがして、意識を散漫にさせる何かが自分に向けられている気がした。それが、ウルスラでEXAMを使用しているときの感覚に似ていることを思い出す。
「大分辛そうね。代わろうか?」
「いや、お構いなく。それより、この先にあるのがウェブリングの本体ってことなんですね」
振り向いて表情を確認したりはしなかった。フィリスも答えはしなかったが、その肯定の意を感じ取ったクオンは、さらに先へとウルスラを運んだ。
リフレクター・ビットと、先ほどからクオンを苦しめている精神波はWEBRINGシステムに安易に人を近づけさせないための仕掛けであった。しかし、それ以上の判然とした、攻撃的な仕掛けはなく、ウルスラはフィリスの目的の場所と思しき広い袋小路に辿り着いた。背の低い、白く無機質な建物があるだけの空間である。
「真下……ですよ。……連盟の」
座標軸とコンパスの間違いでなければ、その位置は連盟本部とぴたりと重なっている。
「そういうこと」
「本部から直通できるのが普通じゃないですか」
「一応あるにはあったんだけど、多分こっちの方が楽よ」
フィリス一人降りてその建物へと向かう。クオンは、未だ四方から襲ってくる、言い表せない圧迫感に耐えながらその背を眺める。あくまで軍人ではない人間が思うこととしては不適切であったかもしれないが、長い間、無理に人を使役する立場にいたこともあって、今のこの状況に懐かしい充足感を覚えていた。
白い建物の中はまた白かった。ほぼ完全に一室であり、中央に巨大な装置が据えられている。装置は床を貫いて、さらに地下に残りが隠れているようであった。建物の白い壁は、その通りただその装置を囲ってあるだけの壁であった。
装置に近づこうとするが、その足を止める。思わぬ先客が居たのである。
「ほかにも通り道あったは、知りませんでした」
対岸の装置の陰からその男は姿を現した。赤ら顔で、筋肉質の巨漢はナンバーズの二番手、ヴォード・フォンである。フィリスの左手に填められた……月の、アンチナンバーズの砦跡で見つけたコピーExeが、自動的にその情報を伝えてくる。
「小娘はここで消えて、無くなります」
ぼそぼそと喋る巨漢の片言声が、地面を通して足元からフィリスを撫でる。
「チッ……“防護を最優先”!」
『Phase Shift - on』
背を見せぬよう後ろに跳び、さらに後転して装置の陰に身を隠す。同時に、腰のホルスターから銃身の短い小銃を引き抜いて構えた。
ヴォードの巨体は大きく跳び、凄まじい筋力と運動力をもって白壁を蹴り、フィリスの構えていた反対の手の方向から瞬時に迫った。太い腕が振れ、拳が叩き込まれる。
Exeの作り出した緩衝力場がフィリスとヴォードの間を大きく空ける。生じた力場の圧力に、やや自身も巻き込まれながらもフィリスは素早く銃口をヴォードの頭部にポイントし、立て続けに三回引き金を引いた。彼女の能力ならば絶対に外すことのない距離からの射撃である。
しかし外れた。間を置かずに、避けたヴォードの頭を追って一射する。それも躱され、フィリスの身体は、巨体の突進によって張り倒された。完全に倒れこむ前に腕を着き、肘が悲鳴を上げるのを堪えてそれを反動にして、ブーツのつま先でヴォードの内くるぶしを蹴り抜いた。彼女の性格上、無論、鉄板仕込みのブーツである。
余裕の棒立ちをしていたヴォードの表情がやや動く。フィリスは間髪入れずにそのまま踵を返して、同じ足の外くるぶしを強打した。
「小娘……!!」
ヴォードはそれでも何の差し障りもないように跳躍して、フィリスを踏み潰しにかかる。その両足が着地点を求める前に、緩衝力場がクッションとなり、巨体を空中に留まらせた。
『caution.caution.limit an――』
Exeが使用限界をアナウンスする。フィリスは舌打ちしつつ、攻撃を躱せる体勢をとってExeの効果を切る。戒めを解かれたヴォードの脚は、片方はそのまま着地したが、もう片方は無理やり開いてフィリスを追い、その左肩を踏みつけた。
「がっああぁぁぁ!!!!」
初めてフィリスの口から悲鳴が漏れる。小銃を握っていた右腕が蹴り払われ、硬い床に叩きつけられ、小気味のよい音が発せられる。苦悶に呻く顔を目がけて、その顔と同等くらいの大きさがありそうな拳が振り上げられた。
その時、数発の銃声が響いて、赤ら顔とその肩口が血を噴いた。
クオンは、倒れようとしない大男を見て、その胸を正確にポイントして引き金を二度絞った。仰向けに巨体が倒れ、肉が叩きつけられる音と頭蓋が叩きつけられる音が白壁の内側をこだました。
「フィリスさん!」
クオンは駆け寄り、フィリスはゆっくり上体を起こす。
「ウルスラで大人しくしてなさいよ、あんたは」
「何言ってんですか死にそうになって」
「あのね……」
自分の左肩を触ってその具合を確かめると、フィリスは持ち前の不機嫌な表情を深める。
「立てます――」
フィリスを支えようとしゃがんだクオンだったが、その身体が後方に吹き飛んだ。クオンの顔があった位置には、変わりに大判の掌底が置かれている。
ヴォードは、まるで撃たれてなどいないという動きで立ち上がった。銃痕は確実に空いているし、どれも致命傷となる位置であるように見えた。
「くっ、くそう。……化け物かよ!!」
クオンのその叫びに反応して、ヴォードが詰め寄る。クオンは慌てて銃を構え直したが、引き金を引く暇は無かった。横薙ぎに払われる腕で、またしてもクオンは吹き飛ばされ、床を滑り、壁に背をぶつける。
「あなたがたは、調子づいた」
ふらついて身を起こすのが精一杯のクオンにとどめを加えるべく、ヴォードの筋肉が撓められる。
「……調子こいてスベってんのは」
その間に体勢を立て直したフィリスが、小銃に残った最後の一発を叩き込む。そして、
「てめえ等の方だろ、蔓呆け」
『over』
左手のExeをはずし、それをヴォードへと投げつけた。
「……?」
ヴォードには初め、その行動の意味するところが分からなかった。しかしその意味が分かったときには、Exeを中心として発生した陽炎のような波立ちに飲まれ、ヴォードの体躯は丸ごとその場から消え去っていた。
「消えて無くなるのも、てめえだったな」
フィリスは短く笑って、膝を着いた。そしてまた短く笑った。
「生きてるかい、やさ男」
「せめて呼び方、統一しませんか」
数十分後に、二人はなんとか痛みを堪えて動けるように回復した。クオンは全身打撲程度、フィリスは左肩がはずれ、もしかしたら少々砕けている。
「この程度たいしたことないけど、少し予想外で手間取ったわ」
さて、と意気込んでWEBRINGシステム本体と向き合う。
「あの男は、結局どういうことになったんです?」
手持ち無沙汰になったクオンも、フィリスに並んで、とりあえずその装置を眺めてみる。
「あー、これ。連中の転送補助デバイスなんだけど、これの出力を反転させてどこか適当に吹っ飛ばしたってとこ」
右手でジャケットをまさぐり、もうひとつ所持していたコピーExeを出して見せる。フィリスは大雑把に説明したが、実際のところは、Exeが連続使用により情報を処理しきれなくなり、転送現象が逆流して周囲の物を巻き込む欠陥を利用したものである。
「残念ながら死んではいないだろうけど。それよりもあんたは、大人しくウルスラに戻ってなさい。消えるわよ」
「フィリスさんは、何するつもりなんですか」
クオンは、少女の痛々しくぶら下がる左腕を見る。
「万一のときのつまらない小細工よ」
見た目、入力装置も何もついていなかった無垢なシステム本体から、どこか手馴れた感じにも見える動作で小さな端末機を取り出し、作業を始める。
「なんか手伝うこと……」
「いいから早く戻ってろ」
片腕でも機敏に入力装置を叩く姿には取り付く島もなく、もともと技術分野にかけてはさっぱりなクオンが手足を出せることは無かった。
何となく、クオンは、自分の肩より低い位置にある少女の頭を撫でた。
「セクハラかい」
「うっ…………いや……」
慌てて手を離す。それで、彼女が見た目の年齢よりも、もっとずっと年上に感ぜられることが何度かあったことを今更のように思う。
「……もし自分が消えたら、そのときはウルスラは任せます」
「初めからそのつもりですが、何か?」
「うぅ……」