「OGFオリガンリレー小説〜ケ・セラ・セラ〜」 第43回更新分
激しい光に晒されて鈍く痛む目蓋を、食い縛っていた歯を緩めながらゆっくりと上げる。その目に映る光景がどういうことかさっぱり分からないというのが、やはり自分がニュータイプなんてものにはなり得ないということなのだろうな、などと思う。
「なん、じゃこりゃ…………」
思いながらやはり混乱もする。
クオンはWEBRINGシステムのすぐ傍にいた。そのWEBRINGシステムが、先ほどまではクオンの身長よりやや高いくらいだったものが、床の下に埋まっていた部分を完全に露出させて、今では標準なモビルスーツほどの図体となっていた。同時に、小さな事務所程度の大きさだった建物内部も、競技に困らない市民運動場くらいはある広さになっている。そして何よりも、システムを中心としてその空間一杯に、その名を連想させるがごとく巨大な光の輪が出現していた。どうやら先ほどまで居たスペースの底がリフトになっていて、さらに下にあったこの空間まで降りてきたのだろうということは、見上げた天井の形状から察することができた。
「クオン、あんた何か勘違いしてたっしょ」
「あー、はぁ。そのようで」
後ろにはフィリスがいた。そして膝を付いているウルスラ。そのさらに後ろ、といっても遠く壁際の辺りだが、巨漢のヴォードはそこにいて、何故かしゃがみ込んだ姿勢から動かなかった。
「一体、なにやってんでしょうか。あれ」
「恐いんじゃない? 消えるのが」
「消えるのが?」
フィリスの言う『小細工』というのはシステムの自爆工作ではなかったのだ。むしろその正反対のことであった。今のシステムは制限という制限をすべて解除した最大稼働の状態にある。
もっとも、本来の機能は停止したままである。フィリスは非常時用のバックアップメモリーを主装置と繋ぎ直し、WEBRINGとしての機能をごく一時的に回復させたのだ。
「システムのバックアップには“正常な状態の世界”の情報が記憶されてるわけよ。そんで、出力が本調子とはいかないから範囲は狭いんだけど、起動すればこの周辺くらいなら余裕で空間の再整理が行われるの」
「いや、さっぱり分かりませんが」
軽く頭痛を患いそうなほど、クオンにはその話は理解できなかったが、それでも少しはフィリスの話を飲み込もうと、装置を再び見上げてみる。
その時、システムの本体が低い唸りを上げて、浮いていた巨大な光輪が一瞬、その明るさを強める。
クオンの姿は消えていた。
フィリスが言ったように、正常に働いたWERINGシステムの機能によってその存在を否定されたのだ。そこに劇的な演出などは無く、続きの描かれることのなかったパラパラ漫画のように、その一瞬からのクオンの存在は白紙となって閉じた。
蹲っていたヴォードの姿も同じく消失している。運の尽きだったのは、再びここへと戻ってきた時に自身のExeを使っていたことだ。消耗したExeで空間整理を防ぐこともできず、空間跳躍して逃げ果せることもできずに、彼もまた異質の存在であるがゆえに消滅したのだ。そして、瞬間の存在でもあるヴォードは、この時よりあらゆる世界での存在をも否定された。
短く息をつき、フィリスは体をふらつかせながらウルスラへと向かった。
辛うじて動く右腕をウルスラのコクピットハッチに掛けたとき、地下空間全体が激しく振動した。不意のことに堪えることもできずフィリスは転倒する。しかしその振動に対してウルスラの姿勢制御が働いたことで、コクピットの位置がより乗り易いところまで下がっていた。
再び、さらに激しい振動が起こり、システムの光の輪が明滅する。そこそこ頑丈に造られていた地下空間ではあるが、天井がわずかに軋みをあげて、その圧力から空気が動いていた。
「“まだ早い、まだ早い。”……これだけ単純だと端から分かっていれば」
満身創痍に振動がこの上なく煩わしく思う。小さなひびから瞬く間に亀裂が走り、砕けた岩盤がウルスラへと降り注いだ。
アリスたちが連盟の本部施設を捉えたときには、同時にそこに閃光が突き刺さっていた。もしくは、その閃光によって、一団は連盟の位置を正確に捉えていた。
陽は傾き、空が薄く色付き始める頃。
その閃光の元凶となったモビルスーツは連盟本部上空から真下に向かって、その武器インペリウムを放っていた。急ぎバラックスから出撃したネクサスやウルが接近しても、バシレウスは気付いたような素振りさえ見せず撃ち続けている。
「何やってんだ奴は。正気か」
出遅れたエプシロンが追いついて率直にそう漏らす。
「大丈夫、人はいないみたい」
連盟施設のほぼ中央にあった建物は完全に消滅し、そこにはインペリウムの威力による大穴が穿たれていた。穴の淵の地面は煮えて、周囲の建物も余波によって少なからず傷付いている。
「そうなのか?」
エプシロンはエオローのセンサーと映像を凝視して探ったが、アリスがそう言い切れる根拠は発見できなかった。
岩盤が崩れる。振動が轟音に、そしてまた振動となって空中にいるアリスたちにも伝わってくる。加速性の低いアンスールと能力の低下しているGグリッターは地上のやや後方に構えてその振動を感じていた。
「本体があるんだ。WEBRINGの本体」
「ゼロがあそこまで焦っている? なんにせよ攻め時だ」
ホバーの足回りを軽く保ちつつアンスールが射撃姿勢に入る。しかしそれよりも早く飛び込んでいったのはリュウエのヴィングだ。ビームサーベルのみを構えて突進していく。
バシレウスは低空気味に向かってくるヴィングへとインペリウムを放り投げた。リュウエはその陰を使ってヴィングを急転回させ、逆手からサーベルを突き出す。だが、その切っ先はバシレウスのビームサーベルに飲み込まれ、さらにその勢いに押し返された。
「ミュナを返せ」
「君から奪った憶えはないな」
間を置かず、幾筋もの光芒がバシレウスを狙う。しかし、強力なフィールドがその攻撃を曲げる。貫通力では『概念』のなかで最強の兵装であるアンスールの『蒼穹』ですらバシレウスには届かなかった。
すでに至近距離にいることを忘れているかのようにリュウエはバーニアを噴かし、ヴィングでもう一度斬りかかる。
「ゼロ、ここで終われ!!」
その後方からはウルが、刃渡りを最大に伸ばしたグラムを振るう。二つの刃がバシレウスの白い装甲に迫る。
猛然と叩き込まれた剣閃だったが、二機の攻撃は止められた。バシレウスは左腕のサーベルでヴィング、右腕のサーベルでウルの斬撃を苦もなく受け止めたのだ。威力が殺されると、フィールドの作用が二機を押し戻す。サーベルごとヴィングの右手首が斬り払われ、グラムとの反発力を起点にした蹴りで機体ごと沈められる。
「エータ、済まん。巻き込むぜ!!」
「構わん!!」
エオローの『片鱗』がバシレウスを取り囲んでいた。片鱗によって形成されるバリアフィールドとバシレウスのそれとが干渉しあって互いの動きを封じる。加えて、グラムのビーム刃を形成するフィールドとも干渉し、その形状を崩壊させる。
ウルはグラムを手放し、腰のヒートナイフを両手に構えて迫る。
「真上だエータ! 注意しろ!!」
エプシロンの叫びとともに、弾丸の雨が降り注ぐ。マシンキャノンをばら撒きながら降下してきたのはガル・ギューフである。
「まだ居たか。意味も無く戦う奴め」
そのまま体当たりしてくるガル・ギューフを躱して、体勢を整えるべく距離を取る。
コンテナを大きく損壊し、バランスを崩して飛行していたバラックスは戦線を離れる。その前に、だらしなく開いたままのハッチからイブンブロウが降り立っていた。ラムダは各機よりさらに一歩引いた地点から、戦況を見定めていた。
「アリスお嬢さん…………?」
ネクサスが浮遊した状態のまま動いていない。Gグリッターがその状況ゆえ積極的に動けないのはいいが、ネクサスまでも全く戦闘に加わっていないのが不自然であった。
執念さえ垣間見える動きで、ガル・ギューフはウル一機のみを他から引き離しにかかる。高速で打ち出す手足とヒートナイフが弾かれ合いながら、二機はもつれ込み、木々が薙ぎ倒されてゆく。
バシレウスは再びエオローによって動きを封じられ、それに照準を合わせたアンスールのビームリニアカノンが撃ち込まれる。光線は真芯を捉えて目標に突き刺さるが、その白い表面をわずかに焦がすのみであった。
「このトンデモ野郎め。まだ、息などさせるか」
高速飛行形態に変形したヴィングが一直線に突っ込んでいく。ラムダが『迂闊だ』と制止する間もなかった。真正面に向かってくるヴィングを、バシレウスは悠然とビームサーベルで裁いた。擦れ違い、機体が砕ける。
「まだだっ!!」
小爆発を起こしながらも追加武装が剥離され、エプシロンの言うところのヴィング・OTだったものが、素性であるヴィング・Oの状態へと戻る。
「お嬢さん、アリスお嬢さん!! どうしたというのです」
ラムダは非常にまずい気がしていた。まさに今、ガンダムネクサスであれば最も決定打となり得る攻撃ができるというのに、そのアリスの様子が窺い知れなかった。
「ラムダさん」
「は?」
不意を突いてアリスが通信を返してくる。
「あれがゼロなんだよね?」
「そうでしょう。今が最大の好機、ここで片を付けねば成りますまい」
「でも……敵じゃないよ、あれ」
「?……それは、一体!?」
ネクサスが跳躍する。戦いの起こっている方向とは関係のない建物を目指している。
ウルが森の中に姿を潜めたことで、ガル・ギューフの動きが止まる。障害物の多い状況での戦闘において高い能力を発揮する機体と、広いフィールドでなければ何もできない機体の対比である。どのようなモビルスーツであってもそれを使いこなしてみせるのがスライダーの少なからぬ自負であったが、そもそも極端なほど攻撃力を有していないガル・ギューフは、スライダーにとって性質の合わないものであった。
立ち往生するガル・ギューフの足首にスクリューウィップの先端が突き刺さる。そこから下方向に引っ張られ、バランスを崩したところを上昇するウルの腕部ビームクローが狙う。脛、大腿、股間、腹と、装甲がえぐられる。
そのほぼ密着した状態で、ガル・ギューフの全身の斥力針が傘の骨組みのように閉じられる。ウルはその細い針の間に挟み込まれる格好となった。ガル・ギューフの左手はビームサーベルを構えている。
「貴様のような惰性を認めないとは言わない。だが、ここからは消えろ」
「これで上々。今、この時が大好きだ!!」
向きを揃えた斥力針がフィールドの流れを整え、ビームサーベルの切っ先がまっすぐウルへと伸びる。
三度目である。自らの世界では、敵は例外無く撃破してきた。それも大概の場合、一撃という呆気無さでただ数を拵えてきた。それが目の前のモビルスーツ、この男とは三度目の対峙なのだ。スライダーにとってこの上なく充実した一時であった。感情で示されるものとはやや違う。それは彼にとって、呼吸や、水分を摂取する感覚に近かった。それは一生に一度しか求めることを許されない感覚でもあった。
スライダーは、はっきりと捉えていた。己の突き出したビームサーベルがウルの装甲を焼き溶かそうとする瞬間も、それよりも早く自分を貫こうとするウルの脚部ビームファングが振り下ろされる瞬間も。そして全身の筋肉が余すところなく弛緩していくのを、感じていた。
回復したシステムは、しかし未だ不安定に波打っており、その波の悪さで飛行制御すらままならないGグリッターのリンは、忙しなく続く戦闘をただ眺めているだけだった。見上げた先では、バシレウスがアンスールの吐き出すミサイルの束を避けて、さらに斬り掛かってくるヴィングをまたも足蹴にて沈める、まるでパイロットとその機体の性能を誇示しているだけとさえ思える光景が展開されていた。
「システムの本体か。あそこに行けば何とかなるかも」
ふと浮かんだのは、一か八か、と言うにも満たない漠然とした考えであった。何故か敵の姿は一機しかない。その戦闘が上空に固定されているうちにと、リンは、インペリウムの光が開けたその大穴へとGグリッターを滑り込ませた。
バシレウスのスタビライザーの先端から小さな物体が幾つか飛び出したのをエータは見逃さなかった。速度を乗せて進めていた機体を急制動で停止させる。その直前を、細い光線が通り抜ける。
「ハガルの武器?! 奴も使うのか」
リュウエは吠えつつ、ヴィングに対しても放たれてくるその攻撃を躱す。撒かれたビットの数は十基弱。それがエータたちを襲いつつ、エオローの片鱗を撃墜していく。
「くそっ、畜生。ずるいぜ、あれはよ!!」
「感情を乱すな。ここで共振を呼んだら元も子もない」
敵のパイロットと意思が激突すれば『概念』の共振が起こる。エプシロンとリューネルトは支援攻撃に徹することでなんとか自身の『概念』を宥めすかしているのだ。
しかしエータがあれほどまでバシレウスにぶつかっていきながら、どうして共振が起きていないのか二人には分からなかった。だが事実、起こっていないのだから今はそれでいいと、敢えて考えはしなかった。
ネクサスは連盟施設の一角に着地する。アリスには、そこから誰かが呼んでいるという直感があった。バシレウスという強力な一点に皆の意識が集結しているからこそ分かる、小さな存在感のふくらみ。
「誰か居るよね?! 壁を壊すから、居たら下がってて!!」
建物の、窓の無いあたりをネクサスの手刀が突き崩す。
ゆっくりと、粉塵の中から一人の人影が浮かび上がる。
「ミュナ……じゃない、か」
ミュナのことを第一に考えていたから、ということもあるが、彼女に会うこと自体本当に久し振りのことであったから、アリスはその眼鏡の少女の名を口に出しそびれた。
崩れた瓦礫を踏み越え、フェリオは恐る恐るネクサスの指先に歩み寄った。
「アリス?」
「乗って。ストラテーゴスのところへ」
「ううん、私は……いいの。アリス、お願い。あの子を止めてあげて。あなたになら、出来るから」
戦闘の音が響いていて、後ろからはラムダのイブンブロウがアリスを追って下降してきていた。その騒音を差し引いてもフェリオの声は弱々しかった。
「気後れている場合ではありますまい。やることを投げてはいかん」
イブンブロウが着地して、ラムダが穏やかに檄を飛ばす。アリスに掛けられた言葉だが、フェリオの方にこそ重く聞こえる。
アリスは、いつも覇気に溢れ、力強く明るく仕事をこなしているフェリオしか知らない。目の前の彼女は本当にフェリオなのだろうかとさえ思ってしまう。そしてこの変化も、やはりこの事件と無関係のことではないのだろうと。
仕方なく、フェリオをこの場に置いて戻ろうとしたとき、ネクサスの足元に数人の人が集まっているのに気付いた。それは軟禁を逃れ本部周辺に潜伏していた連盟の隊員たちだった。
「おーい……アリスだろ?! フェリオも、無事か?!」
真っ先に声を上げたのはクオンだ。
「クオン君かぁ。久し振り」
「ネクサスで格納庫をこじ開けてくれよ。俺たちも加勢するぜ」
パイロットに整備士、それに戦闘に係らない隊員もちらほら居る。ナンバーズから連盟を取り戻すために残った者たちだ。アリスは顔を知らない、エア姉妹の姿もそこにはあった。通常ではリンと二人でしか居ないこの連盟本部に、これだけの人数が集まっていることが新鮮だった。
大きく頷いて、自分で綻んでいると思う表情を引き締める。それからアリスは、問答無用でネクサスの手でフェリオを摘まみ、地面へと降ろした。
エータたちとバシレウスの攻防はまだ続いている。バシレウスの圧倒的な強靭さに対し、攻め手を欠いていた。
「大丈夫。あんなのがゼロなら、私で何とかなるよ」
「待って」
戦線に飛び立とうとするネクサスをフェリオが呼び止める。
「ゼロ……あの子はゼロなんかじゃない」
その言葉に、アリスはわずかな理解を抱く。自身でゼロと呼ばれるものを見たとき、それまで聞き知った像と違いがあるように感じていた。フェリオの言葉はその疑念への、解答の一端ではないかと思ったのだ。
バシレウスがビームサーベルを投擲して、それがアンスールの『蒼穹』一門に突き刺さる。リューネルトは即座に判断して『蒼穹』をアンスール本体から切り離すが、漏れ出るビームの爆発が掠めて機体を傾かせる。それで動きを止めたアンスールを庇うように、エオローがビームナイフ一本を展開させて間に立ちはだかった。『片鱗』はもう半分以上が撃ち落とされている。
「お前たちはそれ以上近づくなよ」
エータのウルが、放り置かれていたグラムを拾い上げ、エオローの動きを牽制する。
「なんだと」
エプシロンは憤った。
エータの言わんとしていることは分かっている。WEBRINGシステムの力にかかれば時空遺児化した存在は消滅する。それゆえに、数日前にはわざわざ外部からの干渉によってシステムを強制停止させてから連盟に近づいたのだ。もっともそれは、ナンバーズの人間も連盟に接触しやすくなるという苦肉の策ではあったが。
しかし、エプシロンは今、オリジナルのExeを手にしているのだ。そして『概念』もある。恐れるものなどどこにも無い状態であった。
その状態で行動を制止されたのだ。調子に乗っていたエプシロンの気勢がエータへと注がれる。
「調子に乗るな。内輪揉めで共振を起こしてどうする」
バランスを取るために手に持ち替えた『蒼穹』の砲身で、アンスールがエオローの頭部を叩く。センサーには、ウルとエオローの内部温度が微弱に上昇していた値が示されていた。
「何だよ、俺たちとじゃあ普通に共振するのかよ。どんな裏技使ってんだ?」
「恐らく“身代わり”が働いているんだ。うまい具合にな」
そう言われて、エプシロンはここに戻ってくる二つ前の世界で見た、ウルを劣化コピーした粗末なモビルスーツのことに思い至った。ほんの少し横目に見ただけであったが、それは間違いなく『概念』の力を宿していたことを覚えている。
「まさかそれ、計算の内ってんじゃないだろ」
「今は戦いに集中だ。勝ち逃げでもされたら話にならない」
降り止まないビットの雨を避けつつ、リューネルトが会話を打ち切る。やっと半分にまで数を減らしていたと思っていたバシレウスのビットだが、五、六基がさらに射出され、攻撃の手は緩まない。
「そういや、あの可変機の兄ちゃんは?」
「息切れだろう。勝手のいいモビルスーツではなかったしな」
「誰がだ。ミュナを助け出すまでくたばるか」
最も無茶な突貫を繰り返したヴィングは、どのモビルスーツよりも傷付き疲弊していた。手には連盟の物と思われるビームランサーを装備している。
「リュウエ!! 少しでいい、あいつの注意を」
「ああ」
ヴィングの後方から、ネクサスが速度を上げて接近する。ネクサスが通り過ぎる瞬間に合わせるように、ヴィングはビームランサーを投げつけた。
「……行っけ!!」
ネクサスの右腕の球体が光線を発する。それが先に投げられたビームランサーを飲み込み、眩い閃光が起こると、ネクサスはさらに光線を連射した。
直撃、回避、直撃、直撃。その攻撃は、目に見えるダメージをバシレウスに与えた。胸部の装甲がめくれ、小さな爆発が起こる。
「終わらせる!!」
エータが叫び、ウルがグラムを振りかぶって跳躍する。
「あ、ちょっと待って」
「何!?」
脈絡もなくアリスが呼び止めて、エータはその方へ気を散らせてしまった。その一瞬の隙から、バシレウスはグラムの振り下ろされようとする腕を受け止め、ウルに掴みかかったのだ。
バシレウスの静かなカメラアイが、ウルを凝視する。
直径は三十メートルを越えよう、大きく深く続く縦穴は、それが一機のモビルスーツによって成されたものだと誰が思うだろうか。Gグリッターはゆっくりと下降していく。穴の底にある光の輪が、縦穴全体を照らしている。リンがその光を確認してから、機体は不調から完全に回復していた。
一千メートルは下っただろうか。いや、三百メートルも下っていない気もする。その穴に入ってからというもの、すべての感覚が何かの力によって曖昧にされているようであった。
この先にWEBRINGシステムの本体があるということをリンは覚えている。
やがてGグリッターは白い空間に降り立つ。分厚い地面を抉って穿たれた穴の底だというのに、崩れ落ちた土砂のひとかけらも無い、白い空間だった。中央にモニュメントのような機械があって、そのすぐ傍には一機のモビルスーツが膝を折って鎮座している。
「クオン?」
ウルスラの足元に寄り掛かって動かない人影がひとつ。周囲を警戒しつつ、リンはGグリッターから降りてその人影に歩み寄った。
眠っているようであった。蒼白な顔をしている。
「あんた……フィリス?」
声を掛けた途端、その眼が鋭く見返してくる。
「やっと来た。あと少しで本気で帰ろうか思ってたとこだわ」
「なに? 私を待ってたっての? ……っていうかあんた、随分ぼろぼろじゃない」
助け起こそうと差し出したリンの手は無視された。フィリスは視線でWEBRINGシステムの方を指し示す。
そこまでが彼女の親切であった。再び顔を落とし目蓋を閉じると、それきり何を言っても起きなかった。リンは数十秒ほど戸惑ったあげく、フィリスを担ぎ上げてどうにかウルスラのシートへと落ち着かせた。
「さ、どうしようか」
思いもよらない人の寝顔を見た、その気持ちを切り換えてリンはWEBRINGシステムの前に立つ。
自ら体験したこと、聞き知ったこと、そして『それ』の不気味さ。すべての元凶であるか、もしくは少なくない要因を占めているのがこの目の前の機械である。あの強制転送と機能停止の起こった日からも、このシステムは繋がっていたすべての世界を観測し続けていた。そしてその中には、分化し新たに発生していた世界も含まれているはずである。Exeシステムによって強引にこの世界に介入してきた連中を、この融通の利かない機械が見落とすはずは無いのだ。世界を見続けていたこの機械ならば、その終わりと始まりさえ記録していた可能性は高い。
リンはWEBRINGを管理する者として、そのすべてを知らなければならない。正面のインターフェースに、迷いなく手をかざした。
その瞬間から、頭の中に直接流れ込んでくる膨大な情報。世界という途方もなく大きな情報は、そのまますべてを受け入れたのでは確実に脳を蒸し焼きにしてしまう。だから、まずその流れを堰き止める。しかして従え、極めて傲慢に俯瞰する。
次に命令を下し、今知りたい事柄だけを眼前に連行する。リンにのみ与えられた権限、リンのみが扱うことのできる技能である。
もしかしたら自分はこのために生かされていたのではないだろうか。そんな考えがリンの精神を乱す。精神の乱れは膨大な情報とともに、歪んだ像を頭の中に映し出す。ならば、今まで自分を生かしていたのはゼロなのか、それともエータなのか。
こめかみが痙攣している。下腹部に不快感が溜まっている。WEBRINGシステムとの接触はリンの体力と精神力を急激に消耗させていた。頭の中に擬似視覚的に形成された世界の情報は、その消耗を受けて著しく見え辛いものになる。それをなんとか堪えて視界をクリアーに保つと、それでもなお残るノイズのようなものがあることにリンは気付く。
それこそがExeシステムの使用によって発生した情報の歪みであった。ナンバーズもアンチナンバーズも、常にExeの力がその活動とともにある。つまり、この歪みの部分だけを調べ上げればいいのだ。
まずは最も手近にあった、大きな歪み。
アンチナンバーズが、Exe基幹システムを使って連盟へとハッキングを仕掛けている。WEBRINGシステムに大きな負荷を掛け、その機能を麻痺させる。そしてその回線を使ってExeの力を乗せ、遠隔操作でリンとアリスを連盟から分岐した世界へと飛ばしたのだ。
次に、少し大きな歪みは、恐らくはゼロによる連盟本部へのモビルスーツ群大量転送。そして小さな歪みは、エータと出会ってからのリン達の行動と、アリスとリンを狙うナンバーズ達の行動。月での連盟残党壊滅、アンチナンバーズの拠点壊滅。断絶者と名乗った男の、行き当たりばったりな行動。アリスが飛ばされた世界から、ゼロが引き揚げるためだけに起こした襲撃。
そしてWEBRINGの記録には、リンにとって予期していなかったもの、いや、有るべきではあるが出来るなら認識したくなかったものもあった。
それはナンバーズとなった者達の内情。
自ら世界との定着を捨てた者、自らの世界に拒まれた者、二度とそれまでの“自分の位置”に戻ることが出来ないと知った時の絶望。ゼロが差し伸べた、時空転移という救いの手に抱いた大きな希望。わずかな理想の共有すらないのに、組織然として動く不自然、窮屈、猜疑。それは袂を分かち、ナンバーズとアンチナンバーズという二つの勢力になったところで大した色相の変化は無いように見えた。
システムが伝えてくるのはあくまで表面上を撮影した情報のみである。それにも拘らず、感情の不協和がひしひしと感じ取れる。そしてそんな中から、『彼ら』が見たゼロというものの正体がにわかに浮かび上がってくるのだ。
その正体とは、ひとつには『矛盾』であった。
きわめてニュートラルな姿勢で世界を観察したとき、その環境には『矛盾』というものなど存在しない。矛盾とは人の心、言葉の中にのみ存在する虚像のようなものである。
だが、ほかでもないWEBRINGシステムが存在するということで『世界と世界が繋がっている世界』という状態が生まれた。生まれていた。自然な環境の中に『矛盾』が、一つの要素として発生したのだ。だからそれは、すべてのものと関係し、すべてのものと疎遠になる。ゼロというのは、一面としてはそういう存在であった。
そういう存在であるから、ゼロというものがどこから始まったのか、それを知ることは世界そのものがいつから始まったのかを知ることと同等に、今回の件には関わりの薄いことである。重要なのは、そういう存在だから、時空遺児となった者達がゼロを発見したということだ。
では、その発見はいつ起こったのか。
ゼロが直接的に行動したと思われる歪みは、ひどく見え難かった。その中でもひときわ大きな歪みがひとつ、遠いところにポツリとある。
「場所は、ここ?」
意識を集中して注意深く観察すると、どうやらそれは歪みとは違っていた。欠損しているのだ。その部分の情報は虫食い穴が網をかけて張られていた。その隙間から見て取れたものは、形状がやや違えど何故かそうだと分かるWEBRINGシステムと、子供の姿。
「あれはフェリオ? もうひとりは」
遠くにある二人の影。そしてあと一人が誰なのか確認しようとしたとき、突如、視界が暗転する。システムとの接続が断たれたというわけではない。視覚イメージが別の領域へと移ったのだ。
『先輩。それ以上先へ行ってはダメですよ』
坦々と再生されるだけだった情報の流れの向こうから、呼びかけてくる声が聴こえる。そのアリスといい勝負の、どうにも緊張感を付加できない話し方。
「んな、なんでキセアの声が」
『ちゃんと通信しているのですよ。残念ながら、音声くらいしかお届けできませんが』
リンが動揺を表しても今度は視界が揺らぐことはない。すでにキセアのもたらした通信の領域が安定しているためだ。
「キセアもやっぱり、私たちと同じようにどこかへ飛ばされてたんだ」
『そういうことだと思います。そちらの事態はまだ把握しきれていませんが、連盟標準時で約一時間前よりリンクが可能になりまして』
「システムに変化があった前後かな。まあ、無事でよかったよ」
頭の中に直接通信の情報を受け付けているため、混乱を避ける無意識がその声の方向を定め、リンはその方向を意識して会話する。
「キセア。さっきのことだけど、キセアはどれだけ把握できてるの? 私より知っているようだったけど」
『はい。リン先輩もお気付きになったと思いますが、そのゼロという方はWEBRINGシステムに関係して発生したものと思われます。ですから、彼にとってはむしろWEBRINGは正常な状態であったほうが良いはずですよね』
「ちょっと待って。やっぱりゼロっていうのは人じゃ無いのか」
『取得した情報から考えた限りでは、その可能性が高いです。私のような電子的な存在でも無いようですけど』
やや性急に話すキセアに戸惑う。それでもリンは、こうして明確に回答なり考えを示してくれるキセアの存在に改めて安堵を感じていた。
そして、ゼロと対峙したことのあるリンだから、分からなくなる。人の姿をしていて、意思を持ったものが、そうではない何か上から見下ろされるほどのものであるというのは捉え難いことである。しかし同時に、受けた威圧感と異物感には得心がいくのだ。
ならば、かつてゼロであったというエータに、今ゼロであるという少年。人間的な部分とそうでない部分の比率が、彼らの差ということなのか。
「イマイチだな」
『はい?』
「……いや。それで、ゼロはなんでWEBRINGを狙ったのか、分かる?」
『そうですね…………』
キセアは言い淀んで、若干黙考したようである。視覚イメージが揺らぐ。
『実は、WEBRINGシステムを手に入れようとしているのは、ゼロとは別の意思で……は、ないかと思います』
「別の意思? エータにエータの意思があるように、あのゼロにも誰かの意思がある?」
『彼の行動には不自然な点が多いので、そう考えた方が自然だと思っただけなんですけどね』
何故か慌てた様子のあるキセアの声。伝わってくるのは音声化された情報と抽象的な視覚イメージだけなので、そう感じたのはあくまでリンの印象である。だがリンは、別段それを気にすることもなく、もう一つ気になっていたことをキセアに訊く。
「そういえば、キセアは帰って来れそう? 今どこにいるの?」
『……あう、それがですね』
再び慌てた様子。成る程、言い淀むのにあわせて視界の色がわずかに変化したのはキセア側からの干渉だったのだろう。芸の細かいことである。
『まだそちらに着くのには、少々掛かりそうでして。なんか……回り……言うこ…………ない、で』
突然、声が急速に遠退いてゆく。
「キセア!?」
『私の……を…………』
すぐに呼びかけても何の反応も無くなり、視界はWEBRINGの情報イメージへと戻っていた。
それも段々と白み始め、リンは叩き起こされるようにWEBRINGシステムの接続から放された。極度の疲労を感じ、尻餅をついて倒れ込む。
最後にキセアが何を伝えようとしたのか、それを知りたかった。せめてもう一度と、疲れを圧して立ち上がる。
システム本体に手をついて寄り掛かると、この空間が一段暗くなっていることに気付く。目頭を押さえて再び辺りを見渡すが、やはりその地下空間全体が翳っているようであった。リンは、疲労が眼にきたのだろうか、とまず思ったのだが、見上げてその原因を理解した。システムの周りを回っていた光輪の光が弱まっているのだ。
それは、フィリスの成した応急措置的なシステム復旧の効果が切れようとしているということだった。
「そうか、ジーグなら」
リンは気だるさを振り払って、呟いた。
「何をやってるんだ、何を!!」
バシレウスに捕まった状態で、エータは誰に言うでもなく喚いた。その激情が、呆気にとられていた皆の矛先をアリスへと向けさせる。
「もう少し余裕を持って。ミュナを助け出さなきゃならないのを分かって」
エータを止めた理由は、確かにそのこともあった。ここでゼロを倒してしまうと、ミュナのことも含めて多くの取り返しのつかないことがある気がしていた。そしてそれ以上にアリスは、ゼロを葬ることがこの事件の決着ではないと思い始めていた。
「アリス、もう二度とないチャンスだ。邪魔する手はねえぜ」
「でも」
「乗っているのは一人だけだ。やってしまってからでいい」
ウルが全身のビーム刃を展開させ、バシレウスを引き剥がしにかかる。だがバシレウスは、それでもグラムの両腕を離さないままウルの攻撃を捌き切っていた。
リューネルトは、バシレウスがウルに気を取られているうちに、コントロールの甘くなっていたビットを撃ち落としていく。エプシロンは、片鱗をすべてエオローに回収し、背後から一撃しようと隙を窺っていた。バシレウスは変わらずWEBRINGシステムの本体がある位置の真上にいる。近づくにはExeによる自身の防護にも慎重になる必要があった。
「機体を止めるんだ。奴はそうそう死にはしない」
「リュウエ」
意気込みこそ衰えを知らないが、ヴィングはすでに攻撃力を有していなかった。前に出ようとしたが、手にしたビームサーベルも最後のスパークを散らせて火を落とす。
「リュウエ、下がりなさい」
ラムダの繰るイブンブロウが上空で絡み合う二機へ向かう。同時にエオローも飛び掛っていく。
「……不本意なのだが」
その最中に、バシレウスから接触回線で伝った小さな呟きを、エータだけが聞き取っていた。
「僕も僕の身体を守らなくてはならないし」
「いまさら何だ!?」
その直後にイブンブロウが横合いから襲い、連装ビームサーベルがウルを拘束していたバシレウスの左腕を叩いた。いや、それはほぼ機体ごとぶつかっていって、バシレウスの戒めをねじ切ったのだ。イブンブロウはその勢いのまま間を通り過ぎる。エータは再びバシレウスとの動線が繋がる瞬間を見切って、グラムを真っ直ぐに突き出していた。後ろからはエオローも最大の加速で詰め寄り、退路さえ与えない。
その最後となる攻撃を阻んだのは、連盟本部の格納庫付近から放たれた光線であった。
あと一瞬の後に接点を持とうとしていた三機は、その光を避けるために散らばる。ほぼ確実に直撃コースを取っていたウルは、グラムの柄を押して手放し、その反動で辛うじて躱すことに成功していた。グラムはその直撃を受けて爆散する。
その爆散の威力はバシレウスを打った。機体そのものは強固なフィールドに守られて、損傷はごく軽微だったが、その閃光と振動はパイロットを直接襲ったのだ。バシレウスは制御を失って、自らが開けた大穴へと落下していった。
エータは狼狽する。
攻撃は、ストラテーゴスが放ったものだった。
「どうして……また。……そうか、あの男は過去を選んだんだ」
操作の手を止めて降下するウルのコクピットから、整然としない思考でエータは見ていた。ライフルの構えを解くストラテーゴスと、その足元に駆け寄ろうとしているクオンの姿。
連盟の滅んだ世界からクオンを連れてきたのは、半分は成り行きと、彼のウルスラを戦力の足しにしたいというエータの独断だった。しかし一方で、それはクオンの境遇を自分と照らし合わせる行為でもあった。同じ、世界から取り残された人間として、彼の行動をもう少し見ておきたいという気持ちが、わずかにあったのである。
それは他人の存在を身勝手に試す行為であり、たとえほんのわずか頭の片隅にあった思いだったとしても、知られれば誰からも許されることはないだろう。
クオンの姿を見たとき、もう一方のクオンがこの世界から消えたことを俄かに予感した。そして状況が確信させたのだ。次は自分たちの番だ、とエータは気勢を正して操縦桿を握り直し、ウルを大穴の淵に着けた。
フェリオは終始無言でいた。足元にいた人達には気遣って、静かに跳躍し、それから一気に穴の直上までストラテーゴスを進ませる。
エータやアリスの方を流し見て、そのモビルスーツが集まっているところの真ん中あたりを目掛けて、ストラテーゴスは持っていたライフルを投げつけた。それは一直線に飛び、銃口から地面に突き刺さる。ストラテーゴスはさらにビームサーベルを外し、おもむろに放り捨てた。
そしてバシレウスの後を追って降下してゆく。唐突のことに、残された者たちはその場に縛り付けられ、しばらく反応する機会を失っていた。
「どうも、こっち側で噛み合ってない感じ? エータ、アリス、お前たちも追うんだろ」
エプシロンは溜息のついでに、自身だけが蚊帳の外にいるような調子で言う。
「行くよ。リュウエは、こっちに移る?」
「いや……どうやら俺はそこには入れない。お前に任せるよ」
「……そっか。うん」
ミュナに感化されたリュウエのニュータイプとしての力は、今も確実にリュウエ自身を守り続けている。その上に彼には、彼自身が殺してしまったもう一人の自分の得てきたものが備わっているようでもあった。アリスは、リュウエに信じられているということを胸に、ネクサスとともに大穴へと飛び込んだ。
それに続いてエータも、ウルを降下させる。ゼロを倒すという覚悟は決まっていた。
「奴が存在するというだけで、俺たちは縛られ続けるんだぞ。それをいまさら、俺は…………」
エータの意思は変わらない。今は自分しかないのだから、自分を信じるしかなかった。頭の片隅では、危険分子として、ネクサスとストラテーゴスを背後から突き刺すシミュレートが繰り返されていた。
エプシロン、リューネルト、ラムダ、そしてリュウエはそのまま地上に残った。ヴィングとイブンブロウはこれまでの戦闘の疲労で、もはや満足に動かせる状態ではなくなっていたが、エオローとアンスールはまだ充分に戦う力を余している。
「お前が行かないとは、らしくないんじゃないか?」
「そういうリューネルトこそ」
張り詰めていた緊張を一旦切って、軽口を言い合う。連盟本部とその周辺は、数分前と打って変わって静まり返っていた。間もなく陽が落ちようとしている。細い月が、燃えようとしている。