「OGFオリガンリレー小説〜ケ・セラ・セラ〜」 第44回更新分

『アポ・メーカネース・テア』



「プロートス(ナンバーワン)がやっていた研究は、彼が見た世界の知識そのものだったんだ」

広い広い地下空間。球面を描く天井のはるか彼方には人工の小さな太陽が輝いていた。
アックスと眠るミュナを抱いたダンセはその太陽めがけて延びる七本の柱に囲まれて、密かに時を待つ。

「でも彼が見た世界は、どれも不完全なものだった。だからいつまで経っても完成させることは出来なかったんだね」

アックスが柱を一本一本確かめるように触れながら歩き、独白を続ける。ダンセはつまらなさそうに彼の話を聞く。

「でもこれは、この『遺跡』は違う。これは初めから完成したものだ。この世界が生まれたときから、この世界に必要とされてできたものだから」
「そんなこと、今更わたくしに説明してどうなさいますの?」

ダンセのあくびを帯びた苦言は、アックスの饒舌を止め、彼をダンセたちのもとに歩み寄らせた。アックスはそっとダンセの肩に手を置いてにっこりと満面の笑みを浮かべる。
今のアックスの話し方は、ずっと傍にいたダンセからみても、ゼロそっくりだ。子供のような声だというのに大人をはるかに凌駕する知性、思索、そして氷のような冷たさを湛えた声である。その声がダンセを少しだけ震えさせるのは、彼女がここにきて初めてゼロの恐ろしさに気がついたからかもしれない。

「……そうだね、君には説明する必要がなかった」

次の瞬間、爆発音と共に、空からは白いバシレウスが姿を現した。手傷を負っているとはいえ、その姿は遠くからでさえもはっきりと確認でき、なによりも美しい。
その王(バシレウス)は遺跡の中心までやってきて、ダンセのナースホルンの横に着陸した。ハッチが開き、中からは若干息を切らしたゼロが飛び出てくる。
ダンセはミュナを地面にそっと寝かせ、急いでゼロのもとに駆け寄り、そして彼を気遣うように彼の肩を抱えた。

「ずいぶんと追われたようだ。王の力はその程度かい?」

あざ笑うようにアックスはゼロを見つめた。それに対してゼロは虎のような目で睨み返す。歯を剥き出したその表情には、思わずダンセでさえ恐怖を覚えた。

「うるさい。お前はまだしばらくおとなしくしていろ」
「そうだね、僕の役割はもうちょっと先らしいからね」

ゼロにとって利用するだけの存在であったアックスが、自分の計画を知っているかのようなそぶりを見せたことにより、彼のアックスへの憎悪を含んだ視線は、驚きの色を写した。それを見て満足したアックスはさらに笑みを増す。

「気づいたのか」
「当然さ。『アックスの力』、Power Of The Axe(パワー・オブ・ジ・アックス)そのものを実行できるのはルートアクセス権を持つキセアだけ。その力のバイナリはあれの意識体がクラックされない限り見えもしない。そしてあれに不法に進入できるようなコンピュータは存在できない。つまり考えられるのはあれが自ら権限を明け渡したか……または君、ゼロがあれそのものかのどちらかだね」

諸手を広げ視線でアックスは「正解だろ」とゼロに尋ねる。
ゼロが一層睨みを強めると、鼻を鳴らしてさらに続けた。

「もともとアグゼが持っていたフィットの『器』、そして僕がキセアをトレースすれば彼女が持っているフィットの『存在』までてに入る。それに君の持つフィットの『魂』を合わせれば、ほら、かつて三つに分かたれたフィットが完成するわけだ!」
「……わかってるなら、話が早い」

アックスは一瞬ゼロと同じように、あからさまな憎しみを表したあと、後ろに退いた。その異様な様子にダンセが反応し、一歩ゼロの前に出るがゼロ自身がそれを止める。
ゼロとアックスは睨み合い、この遺跡の空気を砂漠のように暑くピリピリとしたものに変えていく。

「なにもかもがおかしいよ。今の僕の人格は君そのものだ。いつの間にかアグゼが消えたと思ったら自分が、今まで自分だと思ってたものが目の前にいるんだから。おかしいと思うのに、そうなってる理由も知ってる。そしてまたそのことをおかしいと思える自分がいる……」

二人のフィットが互いに互いを憎みあっていた。一人はフィットの器、もう一人は魂。もともと一つであったものが互いに排斥しようとすることから生まれる焦燥感、そして痛みが二人を襲っていた。
だが、彼ら以外、他の何者にも理解することができないその痛みは全てこの遺跡が創りあげた歴史がもたらしたもの。互いに憎みあっていてもその考えは共通で、そしてこの遺跡が何をするためのもので、何が出来るかをよく理解している二人の目的は同じだった。
完全なフィットとなり、歴史を書き換える。ほんの僅かな力として、連盟のシステムにパワー・オブ・ジ・アックスを提供しているこの遺跡は、それが可能なのである。
二人が対峙を続けるそのとき、眠っていたミュナが意識を失ったまま小さく声をあげた。

「ほらっ! もう来たよ、ここまでは僕の計画通りだろ!」
「黙ってろ、器め」

はやしたてるアックスをゼロは睨みつけた。彼にとって器にすぎないアックスが、フィットを指して『僕』と自称したことが許せなかったのだ。

「ゼロ、私が行きますわ」
「うん……」

アックスが嬉々と指差す方向には空から光の筋が降りていた。それはつまり、ここよりさらに上の階からものが降りてくことを示す。
それを確認するとダンセはミュナを地面に寝かせ、自身は停めておいたナースホルンに跳ぶように乗り込む。ほんの数秒後、突風と共にナースホルンは舞い上がり、光の筋へと直進した。
彼方の光の筋からはウルが飛び出し、ナースホルンとは逆のベクトルを描き出す。
ガッシリと二機はお互いの腕を掴み合って空中に静止した。

『サルターテ、やはりお前は最後まで残ったのか』

ウルのコックピットの中、エータが呟く。

『あなたにわたくしをその名で呼ぶ資格なんてありませんわ!』

二機はぐるぐると旋回を続け、みるみるその高度を落としていった。光の筋からはさらに一機、モビルスーツが――ストラテーゴスが飛び出す。
それを確認してナースホルンはウルから離れて着地、その瞬間に地面に機体を固定するためのワイヤーを打ち込み、背部にマウントされたビームキャノンを構え、まだ空中にあるウル、そしてストラテーゴスをサイトにねじ込んで放った。
そのビームはウルの両足、ひざから下を吹き飛ばしたが、ストラテーゴスには黒いすすを塗るだけにとどまる。ダンセはわずかに悔しそうな声を漏らした。ストラテーゴスがほぼ無傷でいるなんて、想像していなかったからである。

『ゼロっ! あなたも出撃していただけませんっ!?』

二発目をチャージしつつダンセはゼロに加勢を求める。だが、彼からは返答はなかった。
遺跡の中心からはほのかに緑色を帯びたやわらかな光がもれていた。アックスがキセアのカーネルをトレースし始めたことを示していた。
落下するウルを抱きとめ、ゆっくりと着地するストラテーゴスをナースホルンは再びロックし、引き金に指をかける。そしてその引き金を引く寸前、ストラテーゴスのフェリオが口を開いた。

『私たちはもう戦うつもりはないわ』
『わたくしにはありますの!』

そう言って、ダンセはビームキャノンの二発目を放ったが、ストラテーゴスはそのマントのようなシールドでそのビームを完全に防いだ。
いや、実際は、その手前で完全にビームを拡散させていたように見えた。それは、ダンセの目にとてつもない恐怖の塊のように映る。彼女が最も恐れていたストラテーゴス、それが今目の前にいるかのように思えたからだった。
偉大なる将軍(ストラテーゴス・ホ・メガス)が完全に目覚め、その剣を振るえば、勝利もたらす王(バシレウス・ホ・ニーケーソーン)ですら勝てないほどの存在。王は将軍を統べるが、全軍を率いているのは将軍だからである。
しかしビームを拡散するだけならばアイフィールドやそれに準ずる技術は山ほどある。たったそれだけであれが本物の将軍か判断することはできない、とダンセは頬に流れる冷や汗をぬぐった。

『私たちに戦うつもりはないわ』

ガクン、と大地が一度揺れる。ウルを抱えたストラテーゴスのさらに向こう側、空からの光の筋は消え、巨大な円盤が着地していた。その円盤の上にはウルスラ、G-グリッター、ネクサスが静かに佇んでいる。G-グリッターの背面からは数本の太いケーブルが出ていて、それらをウェブリングの巨大な筐体が吸い込むように取り込んでいる。ネクサスのツインアイには光が宿っていたが、ウルには全く動く気配がせず、パイロットが乗っているかすらダンセにはわからなかった。

『お願い、あの子と……フィットと話をさせて』

フェリオがダンセに希求するが、ダンセは何も答えなかった。この状況、連盟の三大モビルスーツが揃い、さらに弱体化しているとはいえ概念に近いマシンがいるという状況は明らかに不利で、一瞬の隙も許されない。それにまだここにいない人物との会話はさせられるはずがない……
ダンセは無言で脚のミサイルポッドを開き、ストラテーゴス、そして円盤の上の三機に放つ。当然のごとくそれらを受けても傷一つつかないストラテーゴスだったが、さらにダンセを驚かせたのは、ネクサスのスフィアがそれらミサイル全てを打ち落としたことだった。量としての配分は明らかに三機に放ったほうのが多かったが、爆風ですらダメージを与えられないほどネクサスは素早く反応したのだった。
こんなやつらに勝てるはずがない、ダンセの脳裏にそんな考えが過る。

『いいよ、マ・サンキエム。姉さんと話をしよう』

不意にゼロの声が流れた。

『でも、まだ……』
『どのみちリンは必要だからね。それに、彼……いや、彼女のトレースは終わった』

トレースは終わった。
その言葉を聞いてダンセは心臓が飛び跳ねるような心地がした。いよいよ、待っていた時がくる。すべてが終わる時が。
ダンセはナースホルンのライフルを床に置いて言った。

『わかりましたわ……全員、モビルスーツを降りて、手を上げながらこちらまで来なさい。ゼロが話を望んでいますわ』

***

拳銃を突きつけるダンセに対して、リン、アリス、エータ、そしてフェリオが顔を向けた。
エータはリンに肩を担がれ、苦しそうにしている。ゼロの意識が強くなった今、意識を失う寸前の状態にあった。

「惨めですわね。かつてのゼロが……」

ダンセは口ではそういいながらなかば哀れむようにエータを見る。そしてエータからまったく反応がないことに一瞬目を細め、一行の後ろに回って真っ直ぐ歩くように指示した。
五分ほど歩いた後、遺跡の中心部、二人の少年と、少年の腕に抱かれた少女の姿をはっきりと確認できる位置にやってきた。

「姉さん……。覚えていますか、この場所を」

ゼロが普段のボーイソプラノをテノールに変えて声を張り上げ、そう言った。

「確かに覚えているわ。ここはあの子が消えた場所、すべてが始まった場所」
「そう。そして今日、すべてが終わる場所になるんだ。僕はまたあの頃に戻れる。また姉さんの弟に戻れるんだ! 協力してくれますよね、姉さん」

ゼロはとても楽しそうに微笑んだ。フェリオはとても直視できないその笑顔から逃げるように、ゼロの傍、アグゼの容姿をしたアックスへ目をそらす。
目を閉じ、ただ静かに佇むそのアックスの姿は、フェリオをはじめ、リン、アリスに既視感を覚えさせた。

「そんなこと不可能よ……もうなにも戻らない」

フェリオが呟くように言った。対してゼロは微笑みを続けたまま答える。

「姉さんは何も知らないんだ。なぜなら姉さんは連盟の管理者であっても、遺跡の管理者ではない。キセアや端末が提供する機能は知っていても、遺跡の機能は知らない」
「どういうこと?」
「連盟が使っているこの遺跡の機能はごく僅かなもの、それもパワー・オブ・ジ・アックスのほんの一部。本物の『世界』を渡る力さえ、この遺跡は持っているというのに、連盟が『世界』と呼んで区別しているのはすべて時間軸の分岐にすぎない。そして遺跡はその時間軸を塗り替えるための力、強制収束を持っている。これを使えば、分岐したあらゆる時間軸を収束させ、唯一つの正しい歴史を、真の未来を造り上げることができるのです」

そして、とつないでゼロはアリスとリンを見やる。

「アリスとリン。その二人が遺跡をフル稼働させるための鍵」

リンがゼロのその言葉を聞いてふざけるな、と舌打ちをする。ある程度予想していた状況だからこその行動だった。
一方のアリスは難しい顔をしたまま、見方によっては泣き出しそうな表情でゼロの話を聞く。

「あんたの思い通りにはさせないぞ!」

アリスに見かねたリンが啖呵を切ってゼロを睨んだ。ゼロは軽く鼻で笑って受け流す。

「思い通りにならざるを得ないとしたら、どうかな。例えば、君がこっちに来なければアリスを殺すと言ったら」
「なんだと? お前は今私とアリスが鍵だ……」

リンはそこまで言って、さっきからゼロの腕の中で吐息をたてる少女の姿に気づいてしまった。
なぜゼロがそこまで大事そうにその少女を抱えているのか。リンのその疑問に答えたのは、その少女から流れるニュータイプ特有の感覚だった。
それをゼロはリンの表情から読み取り、さらに続ける。

「やっぱりリンは頭がいいね。さあどうだい、今この場でアリスを殺すことに僕はなんの躊躇いも必要としない。悪役だからね。でも君がこっちにくるだけで友達が一人救われるんだ」

ゼロが片手で明らかに不自然な状態でミュナを支え、空いた手でリンに手を差し出した。
リンたちの背後にはダンセが憮然と銃を構え、その銃口をアリスの後頭部に向ける。無言でアリスを見ると苦い顔をしつつも、アリスは首を横に振った。
エータの声にならない音も漏れる。彼が何を言っているのか、抱えているリンだけが理解することができたが、彼女に迷いは与えられなかった。

「……アリス、こいつを頼むぞ」
「だめっ!」

リンはゆっくりとエータを地面に寝かしつけた。アリスの弱々しく止める声を背に聞きながらフェリオの横を通り過ぎる。一瞬、フェリオが口を動かした。必ず助けるから、と。
ゼロが差し出した手を引っ込めてさらに口を吊り上げ、再びフェリオに対して完全な勝利を確信した笑顔を向ける。どこまでも無垢なその笑顔はやはりフェリオが知るフィットそのものだった。

「これですべて揃いました……いや、まだ一つ残ってたね」

そう言ってゼロは傍のアグゼ――アックスを見やる。
そしてその静かに佇むアンドロイドに向かってその名を呼んだ。

「紹介しましょう。全連盟システムの管理者にしてナビゲーションシステムのメインフレーム、そして遺跡の継承者。キセアです」

名を呼ばれ、その場の全員から注目を集め、スポットライトを浴び、アンドロイドはゆっくりと目を開く。眩しい光の中、拍手のようなノイズが響いた。

***

死を間近に感じるようなまどろみから何回目の生還だろうか、とフィリスは目を覚ました。真っ暗なコックピットの中、ただ自分の呼吸音だけが聞こえる。
震える手でコンソールに手を伸ばしモニタとカメラの電源を入れ、外の状況を窺った。まだ意識が途切れる前、アリスとリンがなにか声をかけてきたのは覚えていたがゼロと話をする、という旨しか記憶に残っておらずそれからどれくらい時間が経ったかも、彼女にはわからなかった。
外の景色は緑の平原だった。その景色は連盟施設の周辺に広がるそれとは違い、まるでサッカースタジアムの芝のように整然とした緑で、彼女には寒気すら感じさせた。
ああそうか、と彼女はこの平原の意味を理解する。どうやらリンは指示したとおりにきちんとウェブリングシステムへダイブしたようだ。そしてより深層を知るためにGグリッターを媒体として遺跡のあるこの空間へアクセスした――同じ人智を超える『遺跡』同士、相性がいいと判断した彼女の考えは見事に的中したのだった。
さらに彼女は、

「そうか……」

と悲しそうに言って、自分が置いていかれたことを完全に理解した。事実、アリスとリンたちは彼女がけが人だからという理由で置いていったのだが、これまでの経験が一種のトラウマとなってフィリスは落ち込んでしまった。
そしてまた冷たい眠気が彼女を襲い、かすかな痛みと共にモニタの電源を切るために腕を上げたが、ついには電源はついたまま、彼女は再び眠れる姫になるのだった。

***

カーネルをトレースした、というのは、人格の模倣とは少し違う。人格の模倣が性格や記憶のコピーまで含めるのに対して、カーネルのトレースは思考パターンとキセアが持っていた管理者権限をコピーすることを意味している。

「さあ、キセア。遺跡の起動を始めよう」

ゼロはそのアンドロイドに向かって目を輝かせながら言った。

「了解、第一段階としてスーパーユーザー権限の統合を開始します」

対してアンドロイドはそう口にして再び目に見える言動を停止させる。ただし、彼、彼女の電脳内、そしてそれに直結する遺跡はこれから起こることのためにとてつもない速さで演算をし続けていた。

「姉さん、見ててください」
「何をする気なの?」

ゼロとフェリオのやけに寒々とした会話がその他全員の口を閉ざし、事態を見守るに徹させた。
ゼロは一瞬、あまりにも無邪気な笑顔を振りまくと、次いで待機中のアンドロイドに触れる――その手はするりとアンドロイドの身体を通り抜けた。フェリオをはじめ、リン、アリス、ダンセにはまるでノイズがのった荒い映像のようにぼやけてその様子が映る。それはつまり世界の根底が揺らぐほどの改変がゼロとキセアをトレースしたアンドロイドの間に加わったことを示していた。
次の瞬間にはアンドロイドの姿はなかった。「スーパーユーザー権限の統合」が完了したことを表していた。

「……本当にお久しぶりですね」

少年は今一度フェリオに向き直って感慨深そうに言った。
フェリオの目から涙が伝う。その少年の姿は、一分前となんら変わっていないというのに、彼からは言葉で表せないほどの懐かしさを感じたからであった。
かつて遺跡の誤作動によってバラバラにされたフィットが、再び一つに戻ったのである。

「フィットなのね」

陽炎のようにか細く言ったフェリオに、フィットは身を翻し、遺跡の中心部を凝視しながら答えた。

「いいえ、まだです。まだ……僕には残ってる。アグゼの記憶、キセアの記憶、そして忌々しい、ゼロの記憶が」

そう吐き捨てて彼はミュナを抱え直して、真っ直ぐ中心部へ歩き出す。ダンセが後ろから促したことによって一行もまた彼に続いた。

彼はただ安息を望んだ。いや、彼だけではない。かつてのナンバーズはみな安息を望んでいた。時を遡り、新たな時間軸を生むだけでは得られない安息を。
残された最後の方法は、時を遡った上で、その他の全ての時間軸を消去する。そして新たな歴史を紡ぐ。それがゼロが夢見た「真なる未来」だった。

遺跡はどこからか唸りを上げながらその起動を開始していた。
フィットはミュナを中心部の祭壇のような場所に横たえ、準備が完了するのを待つ。

「あなたがやろうとしていることは、他の世界に生きるすべての生命を殺すことよ」
「強制収束が終われば、彼らは生まれることすらありません」
「でも彼らは今生きてる!」
「それは事実ではなくなります」

フェリオは自分の無力さを感じながら必死にフィットを止めようとするが、依然として銃を向けるダンセが立ちはだかり、彼にとって無意味な言葉を浴びせることしかできなかった。そして彼女は同じくらい必死にその考えを脳裏から消し続けたが、このままフィットの計画が成功してもよいとすら思えるほど心身ともに衰弱してきていた。

「姉さんは僕が戻ってくるのがそんなに嫌なんですか」

言葉が詰まった。
そうだ、このまま何もしなければフィットは自分のもとに帰ってくる。もう二度と彼に対して負い目を感じずに済む。それならば、彼の計画に協力したほうが……

「しっかりしろよフェリオっ!」

フィットにその姿からは想像できないほど強く腕を握られたリンが朦朧とするフェリオの意識を呼び戻した。
直後、リンはその腕をひねられていとも簡単に地面に伏せさせられる。それでも彼女はフェリオを律するために怒鳴り続けた。

「お前はなんのために連盟にいるんだよっ。すべてのオリガンを肯定して、そこに生きる人たちを見守るためじゃないのか!?」

フィットは無言でリンの頭を踏みつけた。そして「黙れ」、とそのままリンを蹴り上げる。
血と屈辱が混ざった苦悶の声をあげ、リンの意識は途切れた。アリスが呼ぶ声も空しくリンはすぐにフィットに抱え上げられ、そしてミュナと同じく祭壇にまるで生け贄のように置かれた。

「やっぱりあなたは間違ってる……」
「なんとでも。丁度よくリンが黙ってくれたから、遺跡も早く起動できそうです」

フィットはダンセに目配せし、自身の傍らに呼び寄せる。

「もう一度、やり直しましょう。姉さん」

***

ざわざわと、スピーカーから漏れる自分の名前でフィリスは再び意識を取り戻した。
朦朧としているうちにその自分を呼ぶ声が次第に強くなっていることに気づいてめんどくさそうに「誰だ」と呟く。

『フィリスさん、しっかりしてください、私です』

うるさいなあ、どうして通信装置とモニタの電源を入れたまま寝てしまったのだろう、と思いながらその声の主を勘ぐる。声だけでも可憐で、正直に言って嫉妬を覚えた。ああ、誰だっけこれは。

『私ですっ! キセアです!』

キセア、とその名を聞いた瞬間にどうやらフィリスの脳は完全に覚醒したようで、身体の節々の痛みを感じつつも目を見開いてモニタに映る少女の姿を凝視した。

「キセア」
『やっと気づいてくれました〜』

キセアは緊張感のかけらもなくそう言ってため息をつく。

『急に妨害意識がなくなったので、みなさんに連絡しようと思ったのですが……誰もいなくて』
「ああ、みんな羨ましいくらい忙しいようだな」
『どうしてかわからないんですが、連盟のサーバーにアクセスできないみたいなんです。フィリスさん何か知ってます?』
「いや……それより、お前こっちに来れそうか?」
『えっと、はい、別館のブレードが数台生きてるみたいなので、少し時間掛かっちゃうんですけどそっちを経由すればなんとか』
「今すぐ来い。まだやってない仕事けっこうあるだろ?」

はあ、とキセアが納得してなさそうな生返事をしたところで、フィリスは歯を食いしばって体勢を立て直した。これからちょっと活躍できそうだ、と自嘲気味に笑う。

「いいか、今すぐだぞ。最強無敵アンドロイド娘の意地を見せてみろ」
『わわわかりましたっ!』

フィリスは睨むように言って再び、口角を吊り上げた。

***

遺跡の上空、青い光が雪のように降り始め、フィットの立つ祭壇の窪みにたまり始める。
フィットは独白を続ける。

今の僕が途方もないほどの悪だということは、
恐らく姉さんたち以上に自覚しているでしょう。
これまで何人も人を殺しましたし、
連盟の人からはどんなに重い恨みを買っているか想像に難くありません。
それに姉さんが言うように、
これから生まれてくるであろう新しい意識をも僕は消し去ろうとしています。
でもそれは、はたして自分の利益を、自分の幸福を差し置いてまで嘆く問題だとは僕には思えません。
利己主義だと姉さんは言いますね。
そうでしょう。自分でもそう思います。
僕はそう言われてもいい、覚悟は遥か昔にできています。
僕はこれまで何よりも、姉さんともう一度暮らすことを夢見て生きてきました。
もう一度あなたの弟になれるなら、
もう一度あなたに触れられるなら、
どんな犠牲でも払いましょう。
どんな血の沼も歩いて渡りましょう。
今のあなたに嫌われようとも、僕は完遂してみせる。
この計画だけは。

ライトはフェリオに当たって、ゼロの独白を彼女が引き継ぐ。

あなたがこれまでのことを心から悔やむのならば、
私があなたを許すわ。
たとえ法があなたを殺しても、
あなたは私の心の中で永遠に、
無垢な天使として生き続ける。
でもあなたがこれ以上世界を壊し続けるなら、
私は決してあなたを許さない。

突然、一層唸る遺跡、鼓膜を突き破りそうな地響き。
空からの光は無くなり遺跡の起動が完了したことを告げる。
フェリオは意を決して言う。

最後の警告よ。
今すぐ止めなければ、あなたを殺すわ。

フィットは憂いともとれる笑みで答える。

前にも言ったでしょう。
姉さんに僕は殺せない。
あなたは優しすぎるんだ。

銃を構えるダンセはフェリオをエイミングする。

おねがいだから、
それ以上なにもしないで。

フェリオとフィットが見詰め合う。
お互いに絶対に一歩も譲らず、時は流れ続けた。

そのときである。

炸裂音と共に遺跡の上空を数発のミサイルが飛び込んできた。
なにかに当たるわけでもなくそのまま上空で爆発したそのミサイルは、爆風と共に破片を撒き散らし、一瞬にしてその場の空気を物理的にも精神的にも変える。最初の音に反応したフェリオたちは次の瞬間には地面に伏せていて、若干のやけど負ったが深い傷には至らなかった。
途端、何かに気が付いたようにフェリオはフィットがいたほうを向く。そこには着ていた真っ白なシャツを赤く染めたフィットが四つんばいに倒れていた。

「フィット!」

フェリオはすぐに駆け寄ろうとした。しかし銃を向けたダンセが立ちはだかる。

「動くかないでください……あなたには、彼を心配する資格はありませんわ」

そう言いながらダンセはゆっくりと後ずさりしてうずくまるフィットに手を添えた。
フェリオはその様子を注意深く観察しながら、一瞬、目線を壇上のリンとミュナに向けた。彼女たちはなにかに守られたように無傷で、また少しだけ光を放っていた。
フィットを抱き起こしながらダンセは続ける。

「この子がどれだけの間孤独だったか、あなたにはわからないでしょう。この子が必死であなたのもとに戻る術を探している間、あなたはこの子のことを少しでも想っていました?」
「想っていたわよ! 想っていたけど……」
「ならなぜ探さなかったのです? アグゼを見つけてなぜそのまま放置したのです? なぜ――キセアを造ったのです?」
「それはっ」
「あなたは仕事のできるすばらしい方ですわ。だからこそ、自分よりも肉親よりも組織を優先したのでしょう。違いますか?」

フェリオに否定する余地はなかった。
キセアを造らなければ、遺跡の継承者を用意しなければ、連盟はその時点で崩壊してしまっていた。フィットの『存在』を内に秘めた仮の継承者、それがキセアだったのだ。
フィットはダンセに支えられ、足をふらつかせながら立ち上がる。左腕をかばう右手からは大きな傷口が覗いていた。

『フェリオ、アリス! そいつらから離れろ!!』

上空、フィリスが声をあげ、影を落としてボロボロのウルスラが現れる。
ウルスラはぎこちない動きで左手のビームカノンを構えた。

「まさか……フィリスとはね。すっかり忘れていたよ」

荒い息も切れ切れにフィットが諦めたような口調で言い、ウルスラを見上げて必死に笑おうとする。

『ふざけんなこのクソガキが! さっさとヤるぞ、キセア』
「キセア!?」

キセアの名に反応したのはフェリオとアリス、そしてダンセだった。対してフィリスはなにもかもを吹っ切ったように仰々しく、盛大に笑った。

『そーだよ、キセアだ。瀕死の私がこんなボロボロのイカレたモビルスーツを一人で操縦できるわけないからな。ほら、なんか言えよ』
『フィ、フィットさんもダンセさんもすぐに降伏してください!』

でなければ撃つ。
ウルスラのビームカノンの銃口はそう語る。

「どうして? キセアはもうフィットが取り込んだはずなのに」

ダンセが声を震わせてフィットに問う。

「……僕が取り込んだのは、キセアをコピーしたアグゼだ。あのキセアじゃない。そしてそれまであのキセアの行動を阻害していたアグゼが消えたことで、あのキセアが動き出したんだ」
「失敗……ですわね」

フィットがいっそう強く左腕を握る。滲んだ血が左手の指先から滴り落ちた。そしてフェリオを一瞬見据えてからダンセに向き直る。
笑顔を見せてフィットは小声で続けた。

「いいや、違う。ミュナとリンはまだこっちにあるんだ。あと一息だよ。さあ、上まで行こう」

そう言ってフィットは振り返って歩き始めた。その覚束ない足取りをダンセは懸命に支える。
一歩、また一歩と二人が祭壇に近づくたびにミュナとリンから発せられる光が強くなり、やがて天まで延びる柱を形成した。それをフェリオが後を追おうとしたが、空から響くフィリス『止まれ』、と一言だけの怒号が彼女の足を留まらせる。

『それ以上動いてみろ、本当に撃つぞ』

ダンセが立ち止まる。つられてフィットも止まった。
フィットはまたウルスラを見上げ、呟くように言った。まるで天使のような笑顔で。

「あのモビルスーツの火器管制はキセアの指揮下にある。フィリスがトリガーを引いてもあの機械の女神はほんの少し迷いを見せる。恐らく……僕ならそうしてしまうから」
「何を言ってるんですの?」
「僕はもうゼロじゃない。ここで僕が死んだらもう二度と時間を遡ってゼロが現れることがない。これが、最後のチャンスなんだ。君にとっての」

フィットは視線を前に戻して大きく息を吸う。
そしてダンセの手を引いて走った。
その瞬間、フィリスは無慈悲な表情でビームカノンのトリガーを引く。フェリオはその場で崩れ落ち、アリスの腕に顔を埋めた。

遺跡が発する光まであと数歩。
フィットがダンセをその光へ中へ突き落とす。
そして三度ウルスラの光るビームカノンの銃口を見上げた。