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ここでは、メルマガ『ロシアなひととき』の中で、現地ロシア人スタッフによって紹介された、役立つ情報から生活術や習慣まで、様々なジャンルの情報を皆さまにお届けします。 |
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(ロシア人スタッフ:M) 息子が小学校へ入学してから、もうすぐ2カ月が経とうとしています。息子はとてもよく勉強していて、今のところクラスで1番の成績です。 こちらの小学校では、1年生でもたくさんの科目があります。:講読、ロシア語、英語、算数、自然科学、作業(労働)、美術、体育、ダンス、チェス、情報処理(コンピューターを使用)などです。その他、補修授業にも通っていて、英会話、サッカー、造形芸術を習っています。そして、学校の授業以外にダンスセラピーもやっています。これは、ダンスを通して人間同士の付き合い方を学び、自分に自信を持たせ、リラックスさせるというものです。土曜日は私も一緒にプールへ行き、アクアビクスをしています。音楽に合わせて水中で体操をするのですが、これが非常にきつく、ボールや水に浮く特殊な棒につかまって体操しています。アクアビクスは私にとっても大変良い運動になるので気に入っています。 以上のように、私の息子は毎日やらなければならないことがたくさんありますが、学校やその他のものへも喜んで出かけていきます。小学校1年生の子供にこれだけのことをさせるのは、ここでは少し珍しいかもしれません。 少し前のことになりますが、ベスランでの悲劇(北オセチアの学校占拠事件)は、ただただ最悪な出来事でした。私たちは何日も暗澹(あんたん)とした気持ちで過ごし、この事件のことしか話題になりませんでした。とてもかわいそうな子供たちです。同じ年頃の子供を持つ親として、やるせない気持ちでいっぱいです。この事件以降、息子の通う学校でも安全対策が強化され、両親でさえも中に入れなくなりました。警備が強化されたとはいえ、毎朝息子を学校へ送り出す時はやはり不安になります。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ ◇
2004.11.04.「子供と一緒に芸術鑑賞」◇ (ロシア人スタッフ:Vo) 最近は仕事が休みの日には、子供と一緒に美術館に行っています。こちらには博物館や美術館が身近にあり、比較的安い入場料で入館できるので、子供を連れて芸術鑑賞に行くことがよくあります。(※ロシア人と留学生を含む学生の入場料は安いですが、外国人には高く設定されているところが多くあります。) エルミタージュ美術館にも行きましたが、私の子供は古代エジプトの展示物をとても面白がり、長い時間をかけてを見て回りました。ミイラのところではやっとのことでそこから引き離したくらいです。また、別の日にはネフスキー大通りにある蝋人形館に行ってきました。そこにはイワン雷帝からニコライ2世の息子アレクセイ皇太子まで代々の皇帝の蝋人形があり、大変気に入ったようでした。その後、チョコレート博物館にも行きましたが、この博物館にはチョコレートで作ったおもちゃや、花瓶、レーニンの胸像($18)までありました。 子供はスポーツ等で身体を丈夫にすることも大切ですが、芸術鑑賞などの情操教育の機会ももち、心身共に鍛えることが必要だと思います。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ (ロシア人スタッフ:L) 以前、このコーナーで妊娠した友人と母親教室のことをご紹介しましたが、つい先日、彼女が無事出産しました!
とても大きくて元気な男の子です。彼女の夫はこの日を待ちに待っていたので、それはもうものすごい喜びようです。元気で生まれてくれれば男の子でも女の子でも構わないと言っていた彼ですが、やはり男の子の誕生はことのほか嬉しいようです。出産から1週間程して産院から自宅に戻ったようですが、私たちにとって母子共に健康であることは何より嬉しいことです。 赤ちゃんの名前は出産後に夫婦で決めたそうですが、父親の名前によく似た音と意味を持つ、古来からロシアにある名前です。とてもスラヴ人らしく、赤ちゃんの輝かしい未来を象徴するような名前ですが、彼女たち夫婦の周囲からは反対されているそうです。彼女たちは名前を変更するつもりは全くないようですが…。 こちらでは、赤ちゃんが無事に生まれて、その子を実際に見てから名前を決めることが少なくありません。誕生日もそうですが、私たちの習慣では、前もって名前を考える等、事前にあれこれ準備をしたり祝ったりすることは、あまり良くないこととされているからです。 これから彼女の夫は息子の誕生を祝ってお酒を飲まなければなりません。きっと大変な量のお酒を飲むことになるでしょう!
ですから、私たち友人も彼女たちの家に出向き、皆で手助けすることにします! ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ ◇
2004.12.02.「日本映画祭」◇ (ロシア人スタッフ:V) こちらは日に日に寒くなり、少し前には待ちに待った今年初めての雪が降ってマロースもやってきました。今年の秋はかつて経験したことがないほど長く暖かいものでした。 この時期になると、日本映画祭が開催されます。これは日本大使館が実施している伝統的な行事の1つです。今回上映される映画の1つに、「AIKI(合気)」という映画があります。皆さんはこの映画をご存知でしょうか? この映画は合気柔術を自在に操る半身不随のデンマーク人青年をモデルにして描いた、実話を元にして作られた映画だと聞きました。ストーリーは、ボクサーだった主人公が事故に遭い、車椅子での生活を余儀なくされて自暴自棄になっていた時、合気道に出会ったことで新しい人生を歩き始めるというものです。 本当に偶然なのですが、面白いことに、先日タクシーに乗った際、運転手が障害者で、しかも彼も以前ボクサーだったと言うのです。その運転手は長い間合気道を習いたいと思っていたそうで、私が合気道を教えていると知ると大変喜びました。しかし、残念なことに、ロシアには障害者の人々に合気道を教えている道場がありません。 彼を手助けしてあげたかったのですが、現在の私は本業が非常に忙しく、自分のためのトレーニングにさえなかなか時間が取れないのが実情です。私にもっと時間があればと思うと大変残念です。私は常日頃から、お金を稼ぐということではなく、他の人に何か利益をもたらすようなことに携わりたいと思っているのですが、現実は厳しいものですね。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ ◇
2004.12.16.「ロシアの現状」◇ (ロシア人スタッフ:V) このコーナーで毎回のように仕事が忙しいと書いていますが、私たちのビジネスはなんとか軌道に乗り、今のところ収入も安定してきました。しかし、利益のほとんどを会社の成長に充てているので、個人的な収入が増えたというわけではありません。ここは賃貸料や物流コスト等が急激に値上がりしていますが、給料は以前と変わらないままなので、私たちの生活は一向に楽にはなりません。 現在、ロシアでは人々の階級、富裕層と貧困層との格差がますます大きくなってきました。そのため、生活や政府に対して不満を持っている人々が増加しています。最近までプーチン大統領は人々から大きな支持を得ていましたが、今では多くの人々が彼に対して反感を持っています。恐らく、権力に対する態度の変化や外交問題に対する姿勢もその原因になっているでしょう。 ご存知だと思いますが、ウクライナでは今、大統領選挙の結果をめぐって革命のような出来事が起こっています。ロシアでは自分の生活に対して不満を持っている人は多いものの、現在起こっている政治的出来事に対して無関心な人も多くいます。もしかすると、ウクライナの社会や人々はロシアのそれよりも、ある意味成熟しているのかもしれません。 |
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(ロシア人スタッフ:I) 皆さん、新年はいかがお過ごしでしたか? 私たちは、それほど盛大ではありませんが、家族や友人たちと一緒に食事をしたりシャンパンを飲んだりして、ちょっとしたパーティをしました。 私はお客さんを招待する側だったのですが、何を作って出そうか迷ってしまったので、料理の得意な友人に相談したところ、この料理を提案してくれました。今日はその時に作った料理の1つ、簡単で美味しいサラダをご紹介します。 ……………………………………………………………………………………… <ニシンとスヴョークラのサラダ> [材料] −4人分− ニシンの塩漬け 2匹分程度 [作り方] 1.ニシンをおろして切り身に分け、小さな骨を口にしても 6.固ゆでしたゆで卵を細かく刻むかすりつぶして、「5」の ……………………………………………………………………………………… これで「ニシンとスヴョークラのサラダ」が完成!ъ( ゜ー^)イェー♪ スヴョークラにたくさんのマヨネーズを混ぜてもかまいませんし、サラダの上に卵のスライスやパセリなどの薬味をかけても良いです。 新年を祝う時には必ずこの料理を作るということはありませんが、パーティなどのような大勢で集まって食事をする際には、見栄えがしますし、とても美味しいので、人気のある大皿料理です。是非一度試してみてくださいね。 *-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*
※メルマガ読者の方からこのレシピのアレンジについてお便りを頂きました。 [追加材料] 玉ねぎ 1/2コ [作り方] 1.ニシンは同様に小さいサイズにします。 6.その上にもう1度マヨネーズをまんべんなくかぶせます。 「玉ねぎのピリっと感が全ての味を締め、それに加えてりんごの甘さが絶妙にマッチして、やみつきな味になります」とのことでした。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ ◇
2005.01.27.「最近の出来事」◇ (ロシア人スタッフ:M) 前号のニュースでモスクワの温暖化を取り上げましたが、私たちが住んでいるサンクトペテルブルクも大変暖かいです。 新年を迎えてすぐ、家族でパーヴロフスク(サンクトペテルブルク郊外にある広い公園。公園内には宮殿もある。)に行って散歩してきましたが、その時は辺り一面に雪が積もった、とても美しい冬景色でした。今年は暖かいですが、それでもパーヴロフスクには雪がたくさんあり、私たちはそりで滑って遊びました。その後、1月半ばにもそこを訪れたのですが、既に雪が解け始めて緑の草がのぞいていました!この時期に草を見かけるなんて珍しいことです。 こちらでは19日は洗礼祭(крещение)で、その日の日中の気温は+2℃でした。この時期の洗礼祭は通常マロースなのですが、あまりの暖かさに改めて温暖化が進んでいることを実感しました。 以前何度か書きましたが、去年、小学校に入学した私の息子は、とても元気に勉強や水泳を頑張っていて、入学からの2カ月間の評価(この時期にはまだ点数をつけられることはありません。)では、最高の児童だったようです。なぜならば、授業中に先生から出された問題に正解をすると、児童たちはジェトン(コイン)を与えられるのですが、それは「5(こちらではこれが一番良い点数です。)」に値し、息子がクラスの中で一番多く獲得したからです。 最近、彼はチェッカー(шашки:西洋碁。8x8の碁盤を使い、最初に各自12コずつの駒を置く。相手の駒を全て取るか、相手が動けない状態にすると勝ちです。)がとても上手くなって夢中になっています。 今のところ勉強面では安心ですが、学校でも少し落ち着きがないようなので少々心配です。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ (ロシア人スタッフ:V) 少し前からですが、国内は現在、様々な特権の剥奪に関連して深刻な緊張状態にあり、至るところでデモやストライキ、反対運動が起こってます。地下鉄では年金受給者の群集が無料で乗車させるよう要求してますが、もう誰も運賃を支払わずに地下鉄を利用することはできません。これらの政策により、プーチン大統領の支持率は彼が政権をとって以来、最低レベルまで落ち込みました。 ロシア人の中には議論で解決すべき問題を力で解決しようとする人たちが未だに多くいますが、それも問題を深刻化させる要因の1つです。これは革命家たちの愚かな負の遺産で、権力に対する闘いやレジスタンスの信仰の表れとも言えるでしょう。彼らにとって、どのような権力に抵抗するのかは重要ではなく、ほんの些細なことに対しても蜂起や無法の呼びかけを始めます。もちろん、これらの風潮は利害関係のある人物たちによって焚きつけられ支持されるので、ますます状況悪化に拍車がかかります。 今年は1904年〜1905年に繰り広げられた日露戦争から100年目の「悲しい記念日」を迎えます。この戦争によって多くの人々が命を失い、大敗を喫したことが、後の国家の命運を左右する革命を引き起こしました。 ソ連崩壊から約15年。体制が変わっても、人々の価値観や人生観が変わるのには、やはり長い時間がかかるということでしょう。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ (ロシア人スタッフ:Vo) 先日、友人の誕生会をレストランで開きました。その時、友人を喜ばせるためにちょっと趣向を凝らすことになり、私たちはロマの人々を招待しました。皆さんはロマについてご存知ですか? ジプシー(цыган)と言った方が馴染みがあるでしょうか。こちらでは、地下鉄や観光地で物乞いをしているロマの人々が多く、残念なことに差別の対象にもなっていますが、もちろん、そのような物乞いをする人々のことではなく、お祝い事のある時に歌を歌ってくれる人々のことです。 19世紀頃までは、お祝い事のある時には必ず彼らを呼ぶ習慣でしたが、今ではその習慣もなくなりつつあり、彼ら自身の数がとても少なくなっているので、貴重な機会を持てたことを嬉しく思い、大変満足しています。費用もそれほどかかりませんでした。 ニキータ・ミハルコフが出演した映画に『持参金のない娘(原題:Жестокий романс)』という映画がありますが、その映画の中でロマの人々が歌っていて、私のお気に入りの映画の1つでもあります。日本でも公開されたかどうかは分かりませんが、興味のある方は一度ご覧ください。 *-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----* ※ニキータ・ミハルコフは1945年生まれ、モスクワ出身の俳優で、『シベリアの理髪師』では、監督・原案・脚本を手がけ、俳優として出演もしています。 『持参金のない娘(原題:Жестокий романс)』について詳しく知りたい方は、下記URLをご覧ください。 「allcinema ONLINE 映画データベース」/『持参金のない娘』 http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=9892 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ (ロシア人スタッフ:V) 3月になりましたが、この辺りはまだ最高気温でも氷点下と大変寒く、時々雪も降っています。もうすぐ春がやってきますが、今年の冬も例年通り、交通渋滞を緩和するための何の対策もとられず、市街地の交通状態は改善されませんでした。ここではいつも夏と冬にかなりの渋滞が起きますが、冬の場合は雪や凍結した道路のせいで、単に車が動かなくなっているだけのように見えます。 このような状況下にもかかわらず、車の数は依然として増え続けています。このまま行くと、2年後には増えすぎた車のせいで、車で移動するのが難しくなりそうです。この問題を解消するには新たに道路を増やしたり、迂回路を作らなければならないでしょう。あるいは、車線数が多い2、3階建ての高速道路になるかもしれません。 しかし、それには新たな問題が出てきます。それは街の外観を損ねるということです。他の国には古い建物や宮殿と高速道路が交差しているようなところもありますが、それでは折角の景観が台無しです。残念なことですが、この辺りもいずれそうなってしまうのかもしれません。 |
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(ロシア人スタッフ:V) 先日、こちらは吹雪いていましたが、そちらはもうかなり暖かくなっているそうですね。日本では杉の花粉が非常に多く飛び、花粉症に悩まされている人が多いと聞きました。私の周りにはそのような症状の人がいないので、あまり実感が湧きません。 話題は変わりますが、昨日、日本人の友人から写真が送られてきました。彼女の父親が歌舞伎をしていて、その公演に出演した時の写真です。出演者は皆、本業が歌舞伎役者というわけではなく、地元で有志が集まって歌舞伎をしているそうなのですが、とても素晴らしいものでした。実際に自分の目で舞台を観られなかったのが残念です。以前、私は歌舞伎というものは、マリンスキー劇場のように1つの劇場の名前だと思っていました。もし、歌舞伎を観に行く機会があれば、その前にもう少し勉強する必要がありそうです。 最近、私は、この2年間で日本人のロシア人に対する印象がとても悪くなったという日本のアンケートを読みました。一般的ではないかもしれませんが、この結果は、私が他のロシア人に対する感情と似ています。現在、ロシアと日本の間で政治的、経済的に大小様々な問題が起こっていますが、個人的には日本人や日本の文化を尊敬する気持ちは変わりませんし、今後もお互いの理解のために少しでも役に立てればと思っています。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ ◇
2005.04.07.「子育ての日々」◇ (ロシア人スタッフ:L) こちらも漸く春が始まったようで、太陽の日差しが少しずつ暖かくなってきましたが、時折、大変寒い風も吹きます。早く本格的な春が来てくれるのを心待ちにしているのですが。日本ではもう桜が咲き始めているそうですね。きっと美しい景色なのでしょう。 このコーナーでよくご紹介する赤ちゃんを産んだ友人のところに先日遊びに行ってきました。彼女は毎日育児に追われて、ちょっと疲れているようでしたが、彼女の夫は家にいる間、家事や育児をよく手伝ってくれるそうで、とても幸せそうでした。 その友人の生活は本当に赤ちゃん中心に回っています。:まず、朝起きて、赤ちゃんをベビーベッドから連れ出して新鮮な空気を吸わせ、その後、入浴させます。(赤ちゃんの頭をしっかりと支えて入浴させるのですが、彼はお風呂の中で背泳ぎをしてとても気持ち良さそうです。)そして、一段落したら、赤ちゃんのおむつの洗濯とアイロンがけをし、また彼の遊び相手をしてから食事を与え(今は1日に8回食事を与えているそうですが、まだ母乳だけだそうです。)、それらの合間に自分たちの食事やその他の家事を済ませているそうです。夜は夜で、1、2時間毎に起こされるそうですが、彼女は赤ちゃんを自分の横に寝かせておくだけで、起きてあやしたりはしないとのことでした。 出産前には不安でいっぱいだった彼女も無事に出産を終え、思っていたよりもスムーズに育児や生活ができることにとても満足しているようでした。近いうちに赤ちゃんの定期健診があり、彼女の夫と3人で一緒に病院へ行くそうですが、忙しい仕事の疲れがあるにもかかわらず、家事や育児を分担してくれる夫の協力があればこそ、彼女も育児のストレスを溜めずに、日々平穏に暮らせるのではないでしょうか。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ (ロシア人スタッフ:M) 先日、家族でフィンランドへ旅行に行って来ました。フィンランドとロシアは昔から様々な形で交流がありますが、陸続きということもあり、私たちにとっては比較的訪れやすい外国です。息子にとって、外国旅行は今回が初めてなので、見るもの全てが新鮮だったらしく、大はしゃぎでした。 私たちは首都ヘルシンキ、中部の都市タムペレ、ヘルシンキの西にある古都トゥルクの3つの都市を訪れました。 それぞれの都市ではもちろん観光もしましたが、アクアパークにも行って水遊びを存分に楽しんできました。こちらは寒くても水遊びがしたくなるほど冬が長いので、アクアパークの施設はとても充実しており、まるでカリブ海で泳いでいるようでした! 夏には黒海に行く予定です。仕事や家事はとても忙しいですが、次の休暇を楽しみに毎日を乗り切りたいと思っています。 *-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*
※一緒に写真を撮ったというフィンランド童話の主人公は、大きな丸い目と大きな鼻を持っているので、トロル(フィンランド語ではペイッコ)だと思うが、残念ながら本当の名前は分からないとのことでした。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ ◇
2005.05.12.「戦勝記念日」◇ (ロシア人スタッフ:V) こちらでは、5月9日は「対ファシズム戦勝記念日」でした。これは最も重要な祝日の一つで、戦後60年の間、ロシア人を団結させているものです。しかし、今年ほどこの日を緊張しながら待っていたことはありませんでした。皆さんもご存知だと思いますが、ブッシュ大統領をはじめ、各国首脳たちが訪ロし、モスクワで行われた記念式典に出席したのです。中でも、いわゆる敗戦国のドイツ、イタリア、日本の首脳もこの式典に出席したことは特記すべきでしょう。 今回のこの記念式典開催と各国首脳の出席には、ロシアはもちろんのこと、各国の思惑が入り乱れています。それは、恐らく日本のメディアでも取り上げられていることでしょう。 第2次世界大戦時、戦乱から離れていたロシア人は一人もいません。:私の父方の祖父は斥候兵(偵察部員)で、母方の祖父はレニングラード包囲の際、食料を運んでました。また、妻の伯母はそのレニングラード包囲の時、飢餓で親戚全員を亡くしました。その為、ロシア人のほとんどがこの「勝利の日」を戦死した、生き残った、また、今後の将来を担う全てのロシア人のためにあるのだと思っています。 ロシア社会は今、分裂の淵にあります。ロシア人の私でさえ、今後の展開について多少の危惧を抱いています。各国首脳が一堂に会するというこの滅多にない機会を、自国への利益誘導といった政治目的に利用するだけでなく、歴史から多くのことを学び、再び同じことを繰り返さないよう努力することも必要なのではないでしょうか。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ (日本人スタッフ:K) ◇なぜ日本より暑い、モスクワ!◇ 今年も昨年と同じ時期にロシアへ行ってきたのですが、今回はサンクトペテルブルクとモスクワの2都市を訪れました。今はもう白夜の季節。サンクトペテルブルクでは深夜12時過ぎ、モスクワでも夜21時頃にならないと完全には日が沈まないので、時間をかなり有効に使えてちょっと得した気分になります。しかし、いくら明るいとは言え、治安の悪化している現在、夜遅くまで出歩くのは避けていました。 サンクトペテルブルクの気温は大体昨年並みの20℃前後、時折にわか雨が降ることもありましたが、とても爽やかで過ごしやすい気候でした。 モスクワでの予定を終え、サンクトペテルブルクへ戻る当日、ホテルをチェックアウトする直前の午前11時頃に停電。部屋の電気、テレビ、電話のいずれもが突然使用不可能になりました。ところが、10分程度で復旧したので、出発の準備を整えフロントへ向かうと、何だか周りが騒がしく、一体何事かと思ったら、モスクワ周辺が大停電! 幸いホテル内は自家発電施設があったためか、すぐに復旧したようでしたが、それ以外は全て停電、もちろん地下鉄もストップしました。 お蔭でホテルのタクシーは全て出払ってしまい、受付自体にも誰もいないという有様。予定では、チェックアウトからサンクトペテルブルクに戻る列車の時間まで少し余裕があったので、タクシーを数時間貸し切ってまだ回っていないところを観光してから駅へ向かう予定でしたが、それどころではなくなってしまいました。 すると、私たちの様子を伺っていた白タクのドライバーが近寄ってきて、どこまで行くのかと尋ねてきました。事情を話すと、駅までの移動手段が全くないという状況下だけに、1時間600ルーブル(≒2,400円)とふっかけられてしまいました。しかも、大渋滞で進まないので、目的地以外は行きたくないと言います。結局、この時点では、停電がいつ復旧するのか等の情報がまだなかったため、フロントのフロアでしばらく様子を見ることにしました。 約1時間後、ホテル内のタクシー受付にやっと人が現れたので話を聞くと、15時頃ならタクシーも戻ってくるので、その頃また来るように言われました。観光したいなら車よりも地下鉄の方が早いとも言われましたが、地下鉄が動いていないのに、一体どうしろと言うのでしょう(笑)。仕方がないので、タクシーが来るまでの間、ホテル内のビジネスセンターからサンクトペテルブルクへ所用の電話をかけるなどして時間を過ごし、指定の時間に再度受付へ行くと、今度は雨が降ってきたし、停電もまだ復旧していないので、もうタクシーはここへは来ないとあっさり言われてしまいました。そのままホテルにいても仕方ないので、結局、雨の中、路上に出て、白タクを拾うことになりました。 幸い、白タクはすぐにつかまり、値段交渉をしようと車に近づくと、ドライバーは格闘技のK−1選手シリル・アビディ似のいかつい青年。渋滞状況を考えると列車の時間まで余裕がなかったので、500ルーブル(≒2,000円)で話をつけ、レニングラード駅へ出発しました。話をしてみると、見た目はいかつい感じ(言葉使いもかなり乱暴)でしたが、それに反して感じの良いドライバーで安心しました。 私たちがロシア語を話せると分かると、渋滞で進まない駅までの道のりの途中で彼は色んな話をしてくれました。最初、私たちを韓国人だと思っていたようでしたが、私たちが日本人だと分かると、「東洋人は見分けがつかない。」と言って首を振っていました。「分からないものなのか?」と問うと、「じゃあ、あんたはロシア人とウクライナ人とベラルーシ人の区別がつくのかい?」と聞かれ、「そういうあなたはどうなんですか?」と聞き返すと、「できないね。」とあっさり否定されました(笑)。 また、渋滞している車の列を指差しながら、ドイツの高級車や日本車の素晴らしさについてまくし立て、それに比べてロシア車がいかにひどいかを自嘲気味に嘆いていました。更に、日本は交渉する際にどうしていつも北方領土のことを持ち出すのかと問われました。しかし、彼の北方領土に対する知識は私たちの知ってる北方領土の歴史とはかけ離れたもので、北方領土に対する認識が根本的に違っていたため、それ以上議論をするのを諦めました。 そのような話をしながら、彼は停電の状況を確認するために、激しい音楽を止めてラジオをつけてくれました。ラジオのニュースは、その時点で既に停電は復旧し、地下鉄も動いていると報じていましたが、電話でインタビューに答えていた市民は「停電が復旧したなんてとんでもない! 電気も何もかも全く動かないよ!」と憤りを露にしていました。それを聞いていた彼は、「報道と実際が違うなんてことはロシアではよくあることさ。」と肩をすくめていました。どうやら情報統制はまだまだ根強く残っているようです。 渋滞ながらも車は少しずつ動き出し、レニングラード駅に到着したのは出発時刻まで30分を切っていました。途中、予想通りの大渋滞に巻き込まれて車はほとんど進まず、来た時はたった15分だった道のりに1時間もかかってしまいましたが、幸い、レニングラード駅はモスクワの北部に位置し、停電地域から外れていたため、列車は定刻通りに出発。何とかサンクトペテルブルクへ向けて発つことができたのでした。 後で知ったことですが、この停電で地下鉄車内やエレベーターに20万人が閉じ込められ、首都機能は完全に麻痺したとも報じられており、モスクワでの過去最大規模の停電だったようです。政府はテロ説を否定し、原因は老朽化した変電所の火災としているようです。 私たちがモスクワにいた間、モスクワの気温は連日30℃を超える猛暑。最高気温は34℃と5月の最高気温を記録したため、電力使用量が一気に増加し、老朽化した変電所が火災を起こしたという説はかなり有力ではあると思います。モスクワ滞在中の移動手段にはほとんど地下鉄を利用していたため、この停電が1日ずれていたらと考えるとぞっとしました。 白タクには普段よりも高めの料金を支払うことにはなりましたが、既に予約・支払いが済んでいる列車やホテルの費用が全部無駄になってしまうことを思えば、かなり安くつきました。聞いたところによると、停電の中、仕事でどうしてもモスクワ市内を移動しなければならず、白タクに1,300ルーブル(≒5,200円)以上支払った人もいたようです。 あのような大停電の中、予定通りサンクトペテルブルクに戻れたのは本当に不幸中の幸いでした。少しの停電には慣れっこのロシア人も、さすがに今回は驚いたようでした。 |
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(日本人スタッフ:K) ◇上昇する物価◇ 日本国内でニュースとして取り上げられることは非常に少ないですが、ロシアでは物価の急激な上昇や貧富の格差の広がりが話題になることが少なくありません。実際、ロシアを訪れる度に生活必需品や交通運賃が値上げされているのを実感します。更に、モスクワはサンクト・ペテルブルクより1.3〜1.5倍ほど高く、東京とさほど変わりません。物価の上昇に伴って賃金や年金が上がれば良いのでしょうが、このままでは一般的な庶民の不満は募るばかりでしょう。そのため、本来の仕事の他にサイドビジネスをして外貨を稼ぐ人も多く存在します。 ◇海外企業のロシア進出、土地の活用◇ 大手自動車メーカー、トヨタのロシア進出が決まり、サンクト・ペテルブルク郊外へ工場が建てられるというニュースが連日報道されていましたが、モスクワ、サンクトペテルブルクのいずれにも海外からの企業進出が進み、郊外等にある空いている土地が開発されています。また、賃貸・分譲マンション建設のために空き地が次々と開発され、テレビからは分譲マンションのCMが流れていたりして、一昔前の日本のバブル期のような状況でした。 それとは対照的に、郊外にある軍関係の官僚が住んでいた集合住宅は、今でも人が住んではいるものの、まるで時代から取り残されたかのように建物自体の老朽化が進み、荒れ果てていました。 実際のところ、ロシア人は海外企業のロシア進出をどのように見ているのか友人に尋ねたところ、安くて良い品が国内で生産されることで、国内企業の競争力もアップし、ロシア人にとってもビジネスチャンスが増えることが予測されるので、基本的には歓迎しているとの意見が聞かれました。ただし、収入や職業、生活レベルによってかなり意見の食い違いがあるので、ロシア人の大多数がそのように受けとめているとは言えないでしょう。 ◇治安の悪化◇ アジア人に対する暴行等、治安の悪化が取り沙汰されるようになって久しいロシアですが、強盗、ひったくりなどの犯罪も増加し、その状況は深刻なようです。それはアジア人に対するものに限らず、ロシア人の友人の一人は少し前、職場からの帰宅時にいきなり4、5人の男に取り囲まれ、殴られた末、金品を奪われたそうです。当然、警察には届け出たそうですが、その後、警察からは何の音沙汰もないとのことでした。また、私たちが友人宅でくつろいでいる時、目の前でひき逃げ事件が起こり、警察が1時間ほど現場検証や聞き込みをしている場面にも遭遇しました。 その他、サンクト・ペテルブルクやモスクワなどの大都市では、一時期はどこかへ姿を消していた(政府によって強制的に一箇所に集められていたという話もありますが)ホームレスや物乞い、ジプシー(ロマ)の人々もいつの間にか地下鉄の駅や観光地、公園に戻っていました。金銭を恵んでくれと言われるだけならまだ良いのですが、いきなり取り囲まれて服をつかまれ、そちらに注意を奪われている隙に財布をすられたりすることがあるので、気をつけなければいけません。 犯罪に巻き込まれないためには、できるだけ現地で生活するロシア人と一緒に行動するのが望ましいでしょうが、それがかなわない場合、出歩く際には危険とされる地域は避け、夜間の外出も控える方が良いでしょう。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ ◇
2005.07.07.「モスクワ観光 〜クレムリン/赤の広場〜」◇ (日本人スタッフ:E) モスクワを訪れたからには、クレムリンと赤の広場を見ずに帰る人はいないでしょう。既にモスクワを訪れたことがある方はご存知かもしれませんが、今回はクレムリンと赤の広場についてご紹介します。 《クレムリン》 “クレムリン”とは元々“城塞”を意味するロシア語ですが、現在ではモスクワ川沿いの高台を囲む赤い城壁内部のことをさし、1156年にユーリー・ドルゴルーキー公が木造の砦を建設したのがその起源とされています。 クレムリン内部には、クレムリン大会宮殿、ロシア国会議場、十二使徒聖堂、大砲の皇帝、鐘の皇帝、アルハンゲリスキー寺院、ウスペンスキー大聖堂、兵器庫、武器庫、トロイツカヤ塔などなど、ざっと見て歩くだけでもかなり時間がかかります。 入り口の脇にあるカッサ(チケット販売所)付近には外国人観光客のための英語ガイドが数名待機していて声をかけられましたが、それらを断り、塔の内部以外と武器庫を見学できる外国人料金の入場料1人650ルーブル(≒2,470円)と写真撮影代50ルーブル(≒190円)をカッサで支払い、早速、入り口で行われている金属探知機と持ち物検査を済ませて中へ入りました。手荷物は入場前に荷物預かり所に預ける必要があり、料金は1人60ルーブル(≒230円)でした。荷物にも外国人料金があるというのはちょっと納得がいきませんが。 大聖堂では運良く聖歌隊の歌を聴くことができ、その歌声の美しさに感動して聞き惚れてしまいました。しかし、歌が終わると、聖歌隊の方々はそそくさと大聖堂の入り口に移動し、CDの販売を始めたのには何だか世俗的な部分を見てしまったようで少しがっかりです。 大砲の皇帝や鐘の皇帝の大きさにも驚きましたが、すごかったのは何といっても武器庫です。何世紀にもわたって収集された美術品や王冠、衣装、玉座、馬車、食器、外国からの贈り物等々、代々の皇帝愛用の品々や宝物がずらりと並んでいて圧巻です。ただ1つ心残りは、時間が足りなくて、武器庫の入り口と並んでいるダイヤモンド庫(入場料は武器庫とは別です)を見られなかったことです。ちなみに、武器庫内の撮影には入場チケット購入時に別途50ルーブル(≒190円)が必要です。 武器庫は入場時間が決まっているため、その前に全て見て回ったのですが、炎天下を休憩もせずに歩き回って疲れたので、クレムリン内のカフェに立ち寄ることにしました。飲み物の料金を見てびっくり。エビアン330mlが1本97ルーブル(≒370円)もしたのです。喉が渇いていたので、やむを得ず買うことにしましたが、それにしても高すぎます。 見学できる7つの建物全てをゆっくり見て回ると約3時間ほどかかりました。チケットの端には番号がふられていて、建物を訪れる度に入り口の受付でその番号をチェックされるので、チケットはずっと持ち歩きましょう。 私たちはチケットの裏のクレムリン内部の地図を見ながら回ったのですが、地図上にはあるのに、見当たらないものが1つだけありました。それは以前、レーニンの銅像が置かれていた場所のようでした。現在、その銅像はヴァラビヨーヴィ丘(雀が丘)に移動されています。 ヴァラビヨーヴィ丘は旧レーニン丘のことで、モスクワ大学のすぐそばにあり、モスクワを一望できる大変見晴らしの良い場所です。クレムリンからレーニンがいなくなるなんて、こんなところでも歴史と時代の流れを感じます。 クレムリン内部は観光客が歩いて回れる範囲が非常に厳しく制限されており、そのラインから少しでもはみ出ると、警備している兵士に鋭く笛を吹かれて注意されますので気をつけましょう。 《赤の広場》 祝賀行事の式典やパレードなどが行われる際、テレビでよく目にするこの赤の広場には、レーニン廟、赤レンガ造りの国立歴史博物館、グム百貨店、カラフルなねぎ坊主で有名な聖ワシリー聖堂があります。 平日にもかかわらず、大きな広場は観光客で大変混雑していました。彼らの話している言語から判断すると、イタリア語、スペイン語、ドイツ語等ヨーロッパからの観光客や中国、韓国、東南アジアからの観光客が団体旅行のツアーで来ているようでした。 ここでやっと念願だったレーニン廟を見学しました。レーニン廟(マヴザレイ・レーニナ)の“マヴザレイ”とは元々ロシア語ではなく、古代のカリヤ王国統治者であったマフソルの墳墓がその語源だとされています。 狭く限定された入り口では金属探知機と手荷物・身体検査があり、カメラの持ち込みを防ぐためか、バッグ類はほぼ全てすぐそばにある手荷物預かり所に預けなければなりません。私たちの前に並んでいた観光客は警備の女性兵士と手荷物のことで何やらもめていましたが、問答無用状態です(笑)。私たちはスムーズに通過することができ、いざ、レーニン廟へ。 物々しい警備に緊張しながら、レーニン廟に一歩入ると中は真っ暗闇でひんやりとしていました。暗闇に目が慣れるのに少々時間がかかり、お蔭で地下へと通じる階段を踏み外しそうになってしまいました。細い通路を一段一段階段を確認しながら地下へ下りると、建物の各コーナーに4名ずつ警備の兵士が並んで観光客の動向をチェックしていました。少しでも壁に触れたり、声をたてて笑ったりすると注意されてしまいます。その奥はぼんやりと明かりがついていて、いよいよレーニンと対面です。 ガラスケースに入れられ、薄明かりに照らし出されたレーニンは思っていたよりも小柄で、晩年は脳梗塞を患って半身が麻痺していたせいか、右手は握り締められたままでした。死因は脳梗塞による動脈硬化症と発表されていますが、実際には梅毒が脳に入り込んだせいだとする説もあります。 レーニン廟の中は立ち止まることが禁止されているため、レーニンの周囲をぐるっと回って、あっという間に見学終了。あの薄暗い中で、しかも少し離れたところから一瞬しか見ることができないので、蝋人形でもきっと分からないでしょう(笑)。それをロシア人の友人に言うと「本物のレーニンは指1本しか残らなかったので、後は全部造り物だっていう冗談がある」と教えてくれました。 レーニン廟を出た後は、その後ろにある歴代の書記長や兵士、労働者の墓の間を通って赤の広場を出ることになります。この時間帯は観光客が歩ける通路が決められているので、それに従って進むしかありません。 その他、赤の広場とクレムリンの間には、永遠の火がともされ、献花の絶えない『無名戦士の墓』があり、その先のショッピングモール『アホートヌィ・リャト』には噴水や小川があります。その小川沿いには『かえるの王女』やA.プーシキンの『漁師と魚(『金の魚』とも訳されています)』などの民話をモチーフにした銅像が並んでいるのですが、連日の暑さに耐えかねたちびっ子たちは小川に飛び込んで大はしゃぎしていました。 クレムリンや赤の広場周辺は、観光客目当ての物乞いやホームレス、相手を見て様々な言語で高額なパンフレットを売りつける人たちが多くいますので、気をつけた方が良いでしょう。また、赤の広場をただ横切ろうとしただけなのに、レーニン廟の前にいた警備の兵士に呼び止められ、パスポートとレジストレーションをチェックされた上に、身元についてあれこれ聞かれました。当たり前のことですが、パスポートとレジストレーションは肌身離さず携行するようにし、お金は数箇所に分けて持っておく方がいざという時に役に立つでしょう。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ (日本人スタッフ:E) 今回、サンクトペテルブルク〜モスクワ間650キロの往復には、飛行機ではなく、列車を利用して移動しました。行きは、日本でも有名な夜行寝台列車『クラースナヤ・ストレラー(赤い矢)号』、帰りは特急列車『オーロラ号』です。今回はその2つの列車についてご紹介したいと思います。 《夜行寝台列車『クラースナヤ・ストレラー(赤い矢)号』》 モスクワへは、サンクトペテルブルク市内のモスクワ駅から夜行寝台列車『クラースナヤ・ストレラー(赤い矢)号』に乗って移動しました。ご存知の方も多いと思いますが、ロシアの鉄道は行き先が駅名になっています。これはある意味、便利ですね。行きたい場所の名前の駅から列車に乗れば良いんですから(笑)。白夜とは言え、治安も悪化している現在、深夜に外国人観光客が長時間駅にいるのは危険との判断から、列車が駅に着いた頃を見計らって駅へ向かいました。 モスクワ駅は深夜にもかかわらず、列車の出発を待つ人ごみでかなり混雑していました。また、駅構内は外から自由に出入りできるため、観光客を当てにしたホームレスもかなりいました。ホームへ向かって進んでいると、旗を持った女性の周辺に団体旅行者の集団がいて、何やら大きな声の説明を受けていました。よく聞いてみると、それは日本語。どうやら日本からのツアー客の一団だったようです。団体旅行とは言え、あの場所で長い時間立ち止まっているのは安全とは言えないと思うのですが…。 私たちがホームに着いた時には、既に『クラースナヤ・ストレラー号』が待機しており、各車両の出入り口には車掌たちがビシッと姿勢を正してずらりと並んでいました。私たちは予約してある号車へ行き、入り口で待機している車掌にパスポートと乗車券を見せ、乗車券のみを車掌に預けて列車に乗り込みました。 私たちが乗車したのはリュクス(=デラックス)クラスでしたが、列車内の通路等は思っていたより広く、綺麗でした(各車両にあるトイレは別です)。落ち着いた雰囲気の個室は約3畳ほどの広さがあり、私たちには丁度良い広さで、なかなか清潔かつ快適でした。ベッドの下と個室への出入り口上部は荷物置場になっています。ベッドは小さめで固いものでしたが、列車の寝台としては上等な方でしょう。でも、同じ車両に乗っていた乗客には大男同士で同室なんて人たちもいて、彼らにとってはちょっと厳しい長旅かもしれません(笑)。 個室には、鉄道関係の雑誌や新聞が数誌置かれていて、ペットボトルの水と軽い朝食(鉄道が描かれたランチボックスにパン2個、マドレーヌ、ハム、ヨーグルト、チョコレート等が収まっていました)が事前に用意されていました。その他、歯ブラシやくし、靴磨きのクロス等が入ったサニタリーキットも置かれていて至れり尽くせりです。 個室に入って荷物を置くと、落ち着く暇もなく、飲み物やら食べ物を売りに様々な人が入れ代わり立ち代り部屋をノックしてきて、それが出発直前まで続いたのには少々うんざりしました。個室は外からドアを開けられないように、内側からかける鍵が何箇所かついており、その上、その鍵も開けられないようにする道具も備え付けてありましたが、これではいちいち鍵をかけるのも面倒になってしまい、出発までは鍵をかけずにいました。 発車時刻の23:55になるとホームには音楽が流れ、列車は定刻通りに出発。約8時間をかけてモスクワへ向かいました。やっと出発し、ほっとひと息ついていると、今度は車掌がチケットを持ってやってきました。一体、いつになったら落ち着けるんでしょう(笑)。 しばらくしてサンクトペテルブルク市を離れる頃になると、日はもうどっぷりと暮れていて、辺り一面は真っ暗闇。美しい月明かりに照らされた森や平原の中を進む列車からの景色はとても幻想的で、こんなに素晴らしい景色を見たのは本当に久しぶりでした。 しばらくはその景色に見とれていましたが、新幹線とまでは言えないまでも、想像していたより静かな心地良い列車の揺れと疲れのせいで、知らない間に眠りに落ちていました…。 朝、目が覚めると時刻は6時過ぎ。狭くて固いベッドで寝たせいか、身体中が少し痛みました。それから起き出して朝食を食べ終える頃になると、他の部屋の乗客たちも起き出したようで、外が騒がしくなってきました。身支度を整え通路に出てみると、他の乗客たちも朝の爽やかな空気の中、通路の窓からの眺めを楽しんだり、おしゃべりをしたりしていました。 いよいよ終点、モスクワのレニングラード駅に近づき、到着まで30分を切ったので、降りる前にと思ってトイレに行くと、あいにくの使用中。しばらく待っても一向に空く気配がないので、車掌に他の車両のトイレを利用しても良いか尋ねると、「もうすぐ到着するので、トイレは全て使えません。」とあっさり言われてしまいました。仕方がないので、自分の部屋に戻ると、到着の少し前に窓から見えるオスタンキノテレビ塔をとっくに過ぎていました。テレビ塔を見るのを楽しみにしていたので、ダブルでショックです。 落ち込んでる暇もなく、列車は定刻の7:55より5分ほど早く、すぐにレニングラード駅に到着しました。ホームには「モスクワ〜♪
モスクワ〜♪」とモスクワの名を連呼する古くて堅いソ連風の歌が流れていて、モスクワに到着したという実感が湧いてきました。 レニングラード駅の大きさと人ごみに圧倒されつつも、先ほど行けなかったトイレを探して駆け込むと、やはり使用料10ルーブルを取られました。ロシアの公共トイレの多くは使用料を支払わなければなりません。テレビ塔も見られず、トイレにお金を支払わなければならず、なんだか踏んだり蹴ったりです。駅のトイレが非常に大きく清潔だったのが救いでした。 飛行機と違い、景色を楽しめる鉄道の旅が好きな私にとって、『クラースナヤ・ストレラー号』での旅は大満足なものでした。唯一残念なのは、各車両にある洗面所と一緒になったトイレです。ロシアのトイレは一見すると和式トイレですが、座る向きが違う、便座が最初からない(!)、かなり汚れているなんていうところが多いですが、この列車も例外ではありませんでした。便座は一応ありましたが、同じ場所で歯を磨いたり顔を洗ったりするにはちょっと…という方もいらっしゃるかもしれません。ロシアのトイレはこんなものだと思って慣れてしまえば、どうということはないのですが(笑)。 何はともあれ、何事もなく無事にモスクワへ到着して駅を出ると、白タクを拾い易い場所まで歩き、モスクワでの滞在先であるホテルへと向かったのでした。 *-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*
《特急列車『オーロラ号』》 モスクワからサンクトペテルブルクへ戻る際は、特急列車『オーロラ号』を利用しました。モスクワ〜サンクトペテルブルク間を5時間強で結ぶ列車です。以前、『風の便り』のコーナーにも書きましたが、この列車に乗る当日、モスクワで大停電が起こってしまい、モスクワ市内はどこも大渋滞。私たちがレニングラード駅に着いたのは、出発まで30分を切っていました。 大きな駅の中を突っ切って急いでホームまで行くと、列車は既に待機しており、『クラースナヤ・ストレラー号』と同じように各車両の出入り口に車掌が並んで乗客のチケットをチェックしていました。私たちが予約の号車へ向かう途中、旅行者に金銭をねだる物乞いが歩み寄ってきましたが、それをさらりとかわして先を急ぎ、車掌にパスポートと乗車券を見せると、すぐに列車に乗り込みました。 停電の影響を受けなかった列車は16:30の定刻通りにサンクトペテルブルクへ向けて出発しました。私たちが利用したのはビジネスクラスでしたが、中は通路を挟んで片側が2席、もう片側が1席とかなりゆったりとスペースが取られていました。座席は車両の両端から中央に向かって座るような配置で、天井中央にはテレビが2台背中合わせに設置されていました。座席自体は飛行機のエコノミークラスや新幹線よりも快適で、これなら5時間の長旅も疲れずに済みます。また、後でパスケースとして使えるようなケースに、石鹸、歯ブラシ、くし、お手拭等がセットになって入ったサニタリーキットも各個人に用意されていました。 この日、ビジネスクラスの車両の利用者は外国人観光客がほとんどだったようで、席が近い旅行者同士が自分はカナダからだ、アメリカからだと自己紹介する英語が聞こえてきました。 発車後間もなく、食事が3時間以内に用意されるという旨の車内アナウンスが流れ、同時にウエイターが食事メニューの希望を確認するために回ってきました。外国人観光客が多いせいもあってか、ウエイターはもちろん英語が話せ、立ち居振る舞いもスマートでしたが、なぜか私たちはロシア語で話しかけられました(笑)。 座席にはその日のメニューが置かれていたのですが、メインは牛肉、鶏肉、魚から選ぶことができ、その他、パン2個、水、チョコレート、サラミ等が付いていて、それらは全てチケットの料金に含まれていました。 天井に設置されたテレビからは、ロシアの映画やコメディドラマの番組が流され、その音声は各座席にあるヘッドセットで聞くことができました(備え付けのヘッドセットの代わりに、ウエイトレスが長いコードのヘッドセットを配って回っていて、実際にはそれを使うことになりました)。その後、まだ日本で公開されて間もなかった映画、キアヌ・リーブス主演『コンスタンティン』やウェズリー・スナイプス主演『アウト・オブ・タイム』も放映されました。 しばらく車窓からの景色を楽しんでいると、食事が運ばれてきました。食事は「すごく美味しい!」というほどではありませんでしたが、列車の中で温かい食事が運ばれてくるというのは嬉しいですね。食後、ウエイターにメニューには載っていないコーヒーか紅茶の希望を聞かれ、思わずコーヒーをオーダーしてしまいましたが、こちらは降りる前にしっかりと料金を徴収されました(笑)。ちなみに、追加オーダーの飲み物はかなり割高です。乗客の中にはそれほど割高とは知らずに次々とオーダーし、料金を支払う際に奥さんに怒られている人もいました(笑)。 夜の22時前に目的地に到着とは言っても、白夜なので、道中ずっと景色を楽しむことができました。モスクワでは、行きに見逃したオスタンキノテレビ塔を見ることができましたし、街並みや家、ダーチャ(別荘)、牧場、白樺の森、全てが新鮮で、ダーチャひとつとっても、モスクワ近郊とサンクトペテルブルク近郊では建物の形や色彩が若干違うのも、とても興味深いものでした。この時期は比較的過ごしやすい日が多いですし、列車での旅はお勧めです。 そして、列車は21:45の定刻通りに到着し、私たちは無事に再びサンクトペテルブルクに戻ることができたのでした。
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2005.08.11.「ロシアの美術館」◇ (ロシア人スタッフ:V) 日本の子供たちは今、夏休みですね。お盆の時期には家族で旅行に出かける人が多いと聞きました。皆さん、夏休みをいかが過ごしていますか? 夏休みにロシアへ旅行に来る方がいらっしゃるかどうか分かりませんが、今日はロシアの美術館を皆さんにご紹介したいと思います。 ◇クンストカーメラ(人類学博物館)◇ サンクトペテルブルクの美術館と言えば、エルミタージュ美術館が有名ですが、このクンストカーメラも少し変わっていて面白い博物館です。 中でも変わっているのは、双頭の子牛、身長2m27cmの巨人の骨格標本、奇形児のホルマリン漬けでしょう。特に、大きな展示室に所狭しと陳列された奇形児のホルマリン漬けはかなりグロテスクで、しばらく食欲がなくなってしまうかもしれません。(館内は写真撮影可能ですが、この展示室は撮影不可です。) 建物の外見と違い、内部は博物館というには手入れが行き届いていない部分もありますが、美しい絵画や美術品だけではなく、時にはこのような変わったものを見るのも面白いです。ロストラの灯台柱近く、エルミタージュ美術館からでも歩いて行けるほどのところにあるので、サンクトペテルブルクに行く機会のある方は、一度行ってみてはいかがでしょうか。 ◇トレチャコフ美術館◇ ロシアの美術館と言えば、エルミタージュ美術館かトレチャコフ美術館がまず最初に挙げられるほど有名な美術館で、1856年に開館されました。この美術館には、19世紀、トレチャコフ家の兄弟によって収集された、11世紀から旧ソ連時代までのロシア美術の名作中の名作、約5万点以上ものコレクションが収蔵されています。 美術館の入り口から見る限りでは、それほど膨大な数の作品が収められているような大きな美術館には見えないのですが、中は年代順に60以上の展示ホールがあります。私たちは比較的早足で順路に沿って作品を見て回ったのですが、それでも全部の作品を見るのに2時間以上はかかりました。特にルブリョフ、レーピン、スリーコフの作品やイコンのコレクション群には目を見張るものがあります。ただ、残念だったのは、40番台のホールが丁度メンテナンス中で中に入れなかったことです。 その他、面白かったのはチケットを購入した時のことです。受付にいた年配の女性が日本人スタッフを見るなり、「学生ね。」と言ってきたのです。言われた本人がすぐに否定して一般外国人だと告げると、「良いのよ。私の言う通りにしなさい。1人200ルーブルにしてあげるわ。」と言われ、何度も断ったものの、半ば強制的に学生用チケットを売りつけられてしまいました。 展示ホールの入り口ではチケットと一緒に学生証を提示しなければいけません。一体どうするのかと思いきや、その女性は順路の一番最後にあたる場所へ通じる入り口を教えてくれました。そこにも監視の年配女性がいたのですが、受付の女性と通じているのか、事情を察したようで、すんなり通してくれました。誰もいない通路と階段を進むと、そこはまさに、順路の最後の最後。私たちは、そこから全ての展示ホールを逆行して最初まで戻り、無事に全て見終えることができたのでした。 結局、受付の女性には日本人スタッフ1人当たり70ルーブルの差額がその懐へ入ったことになります。このようなことは以前はよくありましたが、今でも行われているとは思いませんでした。しかも、トレチャコフ美術館のような世界的にも有名な美術館でです。受付の女性の給料がいくらなのかは分かりませんが、急激な物価高騰による生活苦のため、やむをえないことなのかもしれません。 ◇国立歴史博物館◇ 赤の広場で目に付く建物と言えば、聖ワシーリー聖堂とこの国立歴史博物館でしょう。この建物は赤レンガで造られており、4つの塔があります。この博物館には革命以前のロシアの歴史全てが詰まっています。専門的に勉強しなければ知り得ないような古代からのロシアの歴史や石器時代からの貴重な品々は一見の価値があります。また、日本人スタッフ曰く、日本の歴史教科書や資料集で見たことのある展示品が多く、実物を実際に見られたことに感動したとのことでした。中にはサンクトペテルブルクのクンストカーメラに展示されているピョートル大帝のデスマスクや手形のオリジナルがあったりもして、日本人スタッフは、今回の訪ロでクンストカーメラのコピーと国立歴史博物館オリジナルを同時に見ることができたと喜んでいました。 展示は古代から年代順になっていて、各展示室の入り口には、展示品について英語での解説カードが掛けられているので、ロシア語の分からない外国人には助けになるでしょう。また、要所要所にモニターが設置されていて、地図上にその時代の民族の移動や勢力分布、戦争等の時代の変遷がアニメーションで表示され、まるでシュミレーションゲームのような映像で解説されているので、とても分かりやすくなっています。 いずれの美術館、博物館でもそうですが、親子連れや小学校低学年くらいの児童と先生という団体が多く見学にきていました。入り口付近では子供らしく、みんなで騒いだりふざけ合ったりしていた子たちも、いざ中に入り、それぞれの作品についての先生の説明が始まると、全員静かに先生の話を聞き、その場で質疑応答をしている姿を見て、日本人スタッフは驚いたようでした。 以前、幼い頃から素晴らしい芸術作品に触れ、情操教育をすることはとても大切で必要なことだと言ったことがありましたが、日本人スタッフは、このような環境が身近にある子供たちは恵まれていると言いました。海外旅行などのレジャーももちろん良いですが、時には子供たちと一緒に美術館や博物館に行ってみてはいかがでしょうか。
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2005.08.25.「ロシア人の夏休み」◇ (ロシア人スタッフ:M) 前号のこのコーナー担当スタッフが、ロシア人は夏季休暇には旅行へ出かけたり、ダーチャ(別荘)へ行って畑仕事をすると言いましたが、私たちも、黒海とアゾフ海へ行ってきました。 黒海はリゾート地としてよく知られていると思いますが、アゾフ海もロシア人がよく訪れる場所です。アゾフ海はとても広いですが、私たちが遊泳していた場所の平均深度は3メートル程度なので水温も高く(沿岸の水温は30℃以上)、泳ぐには適しています。また、水路も走っていて、そこでは漁も行われています。しかし、水質がそれほど良くないことと、インフラが整備されていないためか、黒海ほどリゾート地として発達していません。 私たちは日中、ほとんど泳いだり寝そべったりしてゆったりとした時間を過ごしました。小学生の息子は水辺ではしゃぎ回ったり、シュノーケルを付けて泳ぐことを覚え、夫は岸から500メートルも離れたところまで泳いで行って魚を獲ったり、かにを捕まえたりしていました。 現地は大変暑く、気温は日陰でも35℃から38℃あり、日なたでは40℃以上もありました。午後3時から6時までは屋外に出ない方が良いでしょう。焼け死んでしまいます!(笑) 夕方になって、私たちはやっと街の中心部を散策することができ、海辺の小さなレストランで食事をしました。 その他、泥土治療地に行って、マッドテラピーも体験してきました。そこにはあまり大きくない休火山があり、その泥土の中に座ると、周辺がごぼごぼと音を立ててるのです! 私たち家族皆、全身泥だらけになって楽しみました。 今年の休暇は本当に素晴らしく、充実していました。ロシア人はフランス人のように長い休暇を取ることで有名ですが、夫は近々更に2週間、私も1週間の休暇に入ります。今度は遠くへ出かけるのではなく、森へきのこ狩に行く予定です。それが終わると、息子は新学期の準備をしなければなりません。こちらでは9月1日から新学年度が始まります。それまでの間、息子とともに家族で休暇を満喫したいと思っています。 |
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