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2006/04/16更新
NO.8
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親方のひとり言・・・
祭りについて
山車について
日頃思っていること語ります。 |
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犬も朋輩 鷹も朋輩(いぬもほうばい たかもほうばい)と言う。
現代流で言えば、同じ会社に勤めている以上は気の合わない同僚が居ても、互いに力を合わせ仲良くししていく義務があると言う事。
狩のときに使われる「犬」と「鷹」は役目が違っても、同じ主人に仕える仲間と言う意である。香取流では「ナマカ」である。
我々「盛山會・さ組」の会員・組子も力を合わせて素晴らしい組織を作り、守るべき義務があると思います。
皆さんは、花形の「手木打」に目が行きがちですが「さ組」を見ている人達にとって、「素晴らしいさ組」と写るのは、「さ組の山車・ともなう行動」にあるのでは。
「山車活動の素晴らしさ」の演出、「一枚岩の団結」。
気張らず、自分が大好きな山車が他の人たちにも大好きに・・・憧れを持ってもらう努力。
華美な山車は勿論ですが、それを守り毎年引き出し続けられる力、そして各技術力の高さ、凛とした明るさ・清潔・礼儀・・・見る人々の心を打つ所作と心・・・あげればキリが無い。
・・・私が目指す形と心「いぶし銀」の魅力・・・
山車制作から奉納まで各部門毎にプロフェッショナルが存在し、無理と思われる事でも「さらり」とこなす。(目立たないところで)
そういうスタフが数多く存在する軍団。
考えただけでもゾクゾクするのは私だけ・・・?ピカリ!輝きをおさえた本物の値打ちもの・・・要所、要所を「さりげなく」魅せる技術・・・これぞ粋の極み・・・本当の祭りの華である。
平成元年〜3年頃のさ組には、鉈屋町の「桶屋の善ちゃん」と言われる明治気質の方が居られました。
手木打ちが気付かない事を何事も無かったようにさらりと合い取りして風のように去っていく。
上げる音頭は引き手をその気にさせ、見る人を感動させ、今の音頭は誰?と思った時にはもうその場所にいない。
世のざれ言うに・・・沢のウグイス親に似る。
声の良い、節の良い鶯のいる沢には代々節の良い名鳥が・・・
「さ組」は、太鼓打ちで参加すると男も女も「盛山會」会員として運営上の仕事が多すぎて・・・?綱を引く事がない。
ところが、山車のリズムは、すべて「綱引きのリズム」から始まるのです。
音頭の練習はしても、受け方の練習はしない。
「ヤーーレ・ヤレ・ヤレ・ヤレ」皆が言うから・・とか恥ずかしいからと小さな声で・・・これでは、山車に参加(出る)資格の問題・・・
自分達が精魂込めた山車を引けや八幡の社まで・・である。
昔の山車奉納は、観る人に媚を売らず「オカメッコされされ」であった。
ある一面それが「粋もどき」・・・かな。
遣れ(やれ)引けである。
音頭の受けも「遣え祝勢」(ヤレコレワノセイ)であり、
用意良い良いサ良いサ用意サ良(エ)ー・・・遣れヤレ・・なのです。
太鼓のリズム(早さ)に合わせて、綱引きの歩調が替わります。
この時、笛が大切なんです。
並太鼓(歩き)には、太鼓の(ドン)の後に追いかけるように優雅を勇壮感を・・時には哀愁をかもし出すのが笛。その普段は太鼓を追いかける笛も、早太鼓ともなれば太鼓の前を行く位の気持ちで引き手を、山車を踊らせるのも笛の技術である。
八幡町い組さんの名人笛師 仁助さん、籐四郎さんも他界され、現在の山車笛師には「心」が無い・・・山車の人形を、人の心を踊らせる技術、やはり綱引きをしなければつかめない。
藍より青し・・・「青は藍より出でて、藍より青し」
・・・門下が師より優るのを言う。
今後のテーマかな。
平成19年には、盛岡に山車が引き出されて300年の年を迎える。
その伝統に携わる私達は、技術を磨き、市民の皆様が誇れる山車と祭継承に努めなければならないのでは。
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