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■ 北国の江戸っ子達 ■
■さ組の発祥 ■さ組八幡宮奉納山車 ■趣意書
■山車でつなぐ絆が・・ ■いまは故き先輩との思い出 ■おわりに




さ組の発祥
南部公が盛岡の地に築城
城下の結束と発展を祈念し、祭りを作り利用・・・ その山車の主導権は※戊辰戦争より主催が代わり、町火消しへ・・・
消防団の色が特に強くなった昭和後期・・・
・・・「山車でつなごう市民(みんな)の心」のスローガンの基、さ組は産声を上げた・・(みんな”市民”の山車の実現)
さ組の「さ」は、「石割桜」にあやかり名づけ、消防団中心の山車社会の中に、さ組の木(花)を大きくしようと頑張っています。




さ組 八幡宮奉納山車

平成1年
風流 碁盤忠信 見返し 静御前

平成2年
風流 暫 見返し 藤娘

平成3年
風流 釣鐘影清 見返し 汐汲

平成4年
風流 暫

平成4年
風流 雨の五郎 見返し 静御前


平成5年
風流 
元禄忠臣蔵御浜御殿 綱豊卿
見返し 女暫

平成6年
風流 碁盤忠信 
見返し 安里屋ユンタ

平成7年
風流 矢の根 見返し 藤娘

平成7年(女の山車)
風流 綱豊卿

平成8年
風流 鏡獅子 見返し 藤村益次郎

平成8年(子供の山車)
風流 盛岡八幡宮

平成9年
風流 釣鐘影清 見返し 南部成姫様

平成10年(十周年記念)
風流 暫 見返し 猩々

平成11年
風流 草摺引の五郎 見返し 富沢茂

平成12年
風流 松王丸 見返し 女車引

平成13年
風流 助六 見返し 揚巻

平成14年
風流 矢の根
見返し 助六水入り天水桶 揚巻

平成15年
風流 参会名護屋 見返し 藤娘

平成16年
風流 碁盤忠信
見返し 狐忠信

平成17年
風流 釣鐘の影清
見返し 琉球人形


平成17年 見返し 琉球人形
中央の女性が沖縄娘です。






趣意書
「感動」と「絆」の山車奉納

謹啓

 初秋の頃、皆様に於かれましては益々ご隆盛のこととお喜び申し上げます。私共盛山会は「山車でつなごう市民(みんな)の心」のスローガンの基、歩み続けて十五周年を迎えることができました。


 これからも、広く全市民の方々に、「市民(おらほ)の山車(さ組)」と呼ばれ、自慢していただける行動と、技術の向上に努め、児童達の健全育成は元より、世代間に絆づくりと町々に活力を与える事が出来ますように努力する所存でございます。


 大変なる不況の時代でございますが、「心を鍛え」「力を合わせ」次の時代へ「感動」を伝えるべき真心をもち、まい進して参る所存でございます。


 本年の山車は、実在した歌舞伎ではございませず、名伎とうたわれました七代目団十郎と八代目団十郎の「参会名護屋」(暫)の錦絵をもとに七代目不破伴左ェ門を八代目が(留め男)篠塚伊賀守を演じ「しばらく」と見得をきる場面を飾り引きたいと計画致しました。


 会員・参加者一同力を合わせて努力致しますので、今後共夢実現へ向けてお力添えいただけます様お願い申し上げます。
謹白
平成15年9月吉日
盛山会さ組代表役員 会頭 照井武彦
盛山会  代表役員 会長 武藤安雄





山車でつなぐ絆が・・良い子を育て、良い若者となり、よい社会を
8月下旬の盛岡の夕方、どこからともなく・・
遠く聞こえる太鼓の音に、もう山車の太鼓練習の時季か・・・

最初の頃は、バララ・・バララ・・と合わない音も
日を追う毎に、調子が合ってくる。

・・その頃から、盛岡は秋を迎えるのです。

その練習を小さい男の子が、おばあちゃんと一緒に見ている。
・・その目は、しっかりと小太鼓打ちのお兄ちゃん、お姉ちゃん達に
注がれ、手は無意識に・・太鼓を打つしぐさ・・・

私達・・盛岡っ子は、この憧れから成長が始まるのです。

盛岡山車の世界・・・
・・・太鼓の魅力・・山車は親離れ・・子離れの練習でもあります。





今は故き先輩との思い出・・・
盛山会さ組 会頭 照井武彦

平成5年度 八幡宮秋祭り参加山車組奉納祭 H5.9.12 

特別会員(故)駒木勝太郎親方は、油町六分団の第三十二代分団長として、消防に山車に活躍されました。
 退団後は山車の行く末を危惧され、自前で用具を揃えられ、山車製作に情熱をかたむけられ、その行動範囲は、盛岡はもとより
南は石鳥谷町から北は沼宮内・岩手川口へと「盛岡山車」を広めた方で、「さ組」の山車は全て駒木親方の遺品の山車道具です。


同じ本町には石割桜の(故)益次郎親方が住まわれていました。
親方も六分団の二十九代分団長、「さ組」発祥当時の山車推進会の名誉会長さん。「さ組」に対する外部の圧力を和らげ、「さ組」を守り育ててくださった大恩人。


このお二人の親方さん方がやりたかったもう一つの夢・・・それが私達の盛山会の在り方だったのでは・・・と私は考えております。


名誉顧問(故)瀬川昭一さんは、「さ組」の山車の前張り提灯の中央に、益次郎さんと並んで取り付けられている方。
 平成二年の下げ波を大きくしようと話しが決まり、その製作を手掛けたのが瀬川さん。
 当時、神子田町の町内副会長さんで、私が前もらい寄付受付に企業廻りをしている留守を、瀬川さんが守りながら小物作りをしてくださった。
 現在も山車車庫には、必ず小岩にコケを打つ瀬川さんがいてくださるような気がします。


神子田に来て、初めての頭取が二代目(故)吉田廣志氏。
八幡宮社殿内で奉納祭の写真には、益次郎さん、廣ちゃんが写っている。
 思い出はたくさんありますが、人の世話をするのが大好きな人。二代目武藤会長、そして、副会長の(株)佐藤興産の社長 佐藤亮一さんとは兄弟付き合いの間柄でした。現在も都南バッティングセンターさんから応援を頂き「さ組」を運営しています。


名誉顧問(故)小泉武雄氏は、一代で盛南産業を立ち上げ、生コン業界にその名を誇る(株)セイナン工業の会長さんでした。
 奥様と二人三脚に加え、ご長男の貢社長、お孫さんの真由美さんのチームワークのよさに、訪問する度に感心させられたものでした。
 豪放磊落な会長さんが秘める、細やかな目配り気配りの前では、正直に真心をもって、何事も報告をする自分がそこに在りました。
勇気とは・・誠意とは・・何かを教えていただきました。今も「訪問は約束の10分前」の一言を思い出します。


他に名誉顧問の藤澤元次郎氏、阿部クニ子氏。
そして滝沢の山車製作者 穴久保氏と、我々盛山会さ組の故人となられました大恩人や同志達が、祭囃子にさそわれて、山車のまわりで見守って下さっているような気がします。





おわりに
 まずもって、私共の15年の活動にご協力、ご尽力いただいております盛岡市民の皆様、ならびに会員の皆様に厚く御礼申し上げます。併せましてこの度、記念誌発行にあたってご協力、ご尽力頂きました関係者の皆様に厚く御礼申し上げます。


 さて、私は、子供の頃から山車に参加し「祭りに参加できる喜び」「祭りに参加できる誇り」を実感しておりますが、今現在、その憧れであった山車運営に携わるとは夢にも思っていませんでした。


 子供の頃を振り返ってみると、祭り前ともなると自転車で山車小屋を巡り歩き、いつかは山車に参加し、太鼓を打つ日を夢見ていたものでした。


 いざ、山車に参加しようとすると『学区内の子だけ』『順番待ち』『定員』といった祭りに参加するハードルが非常に高かった事が思い出されます。


 また、山車関係者の子供が優先され非常に悔しい思いをした事も脳裏に浮かびます。
(当然、「八幡下りパレード」「大通りパレード」で小太鼓は関係者の子供達です。さらには、他の団体では今現在でも大太鼓打ちの制限を設けています。)


 このようなことが、この祭りを全ての人から愛されない祭りにしていった実情であったと考えております。


 我々が運営する立場となった今では、当時の悔しさを決して今の子供に与えてはならないと考え15年間活動してまいりました。


 その結果、当会では小太鼓を経験した多くの子供達が祭りの楽しさを実感し、笛や大太鼓、そして運営する側へと携わるようになり、年々その輪は大きくなってきていると感じております。


 これからも山車運営活動を通じ、祭り好きの仲間達のさらなる絆を作り、この祭りが全ての人から愛されるように努めていきたいと考えております。そして、いつの日か当会の山車が「心のふるさと」となるよう活動してまいります。


 なお、今後は山車の発祥の根源探求を行う等、活動の幅をさらに増やして行き、後世に語り継がれるような活動も展開していきたいと考えております。


 最後になりますが、15周年を迎え当会の目指す

1.児童の健全育成
2.世代間の絆作り
3.町々に活力を与える 

をテーマにした基本理念のもと、努力、精進いたします。
また、これに反した活動等が見受けられましたら、ご遠慮なくご指導、ご助言を引きつづきご頂戴いただければ幸いでございます。

平成15年9月吉日
「山車でつなごう市民の心」 盛山會さ組
 理事長    切田  泰
副理事長    熊谷 啓一

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