窯場の基礎知識・窯場巡り
伊 賀 焼

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伊賀焼簡単入門

 伊賀焼の歴史は古く奈良時代にさかのぼることが出来る。平安時代末期から鎌倉時代の初めころに本格的な焼き物の産地として発展し、室町時代の終わりから桃山時代にかけて侘び茶が広まると個性的な伊賀焼は茶の湯の道具として注目されるようになった。
 領主として伊賀を治めた筒井定次や藤堂高虎が茶人であったことから、伊賀焼は茶の湯のセンスや心遣いを巧みに取り入れ発展した。
 その後江戸中期に一時衰退するも18世紀中ごろ京都や瀬戸から技術者を招き伊賀の土を活かした日用雑器の生産が行われるようになり現在の伊賀焼の基礎となっていく。
 現在の伊賀焼は阿山町の丸柱を中心に土鍋や行平、食器や茶陶等々多岐にわたる陶器生産を行っており、また伝統を生かした新製品の開発も行われている。
 伊賀焼の魅力は、土の風合いと炎による変化が生み出す自然の景色にある。また整った形に手を加えることによって生まれる、より自由でおおらかな生命力あふれる「破調の美」にも心がひかれる。日本人だけが見出し敏感に受け止めることが出来る「焼き物の美しさ」を最も単純に明快に表しているのが伊賀焼といえよう。
 豊かな自然の中でこつこつと堅実に作り続けてきた伊賀焼には茶陶から受け継がれた使う人への心遣いと良いものを創り続けていきたいという心意気が息づいている。

☆一口メモ☆ 伊賀焼と信楽焼は似ているといわれているが、伊賀焼のビードロ(薪の灰が高温の炎で溶けてガラス状になったもの)は透明度が高く、形もヘラ目が大胆で野性的な醍醐味がある。また、信楽焼に比べて身近で使う食器類や土鍋が多く作られ、伊賀焼ならではの心遣いが光る。
 粘土は、蛙目(がいろめ)粘土や木節(きぶし)粘土が中心で、前者は硅石や長石の小粒を含み収縮や可塑性・乾燥強度が大きい。後者は木節などと混在していて、鉄分は少なく、耐火度が高く、可塑性収縮率が大きく、亀裂が生じやすい。伊賀の七度焼きという言葉があるが、実際に七度焼くことは稀である。穴窯で焼成する場合、窯内の最も高い所で1300℃ほどの高温になっていると考えられるので(一般的な陶器の焼成温度は1200〜1250℃)、粘土の特性や窯の焼成条件などが重なって、亀裂が入ったり形が変形したりする予期せぬ「窯変」が起こり、破調の美が生まれることになる




山本・景山、丸柱(伊賀焼の里)を行く

 JR関西本線伊賀上野駅から国道422号を北におよそ10qほど上がって行くと丸柱に至る。この地が伊賀焼の中心とされ、現在は上野市など伊賀地方全般で焼かれる焼き物のことを伊賀焼と呼んでいる。低い丘陵性の山地に囲まれた自然豊かで静かな焼物の里である丸柱では、里を取り囲こむこれらの山々から産出する良質で豊かな粘土により伊賀焼を支えてきた。これらの粘土は、新生代第三期鮮新世に形成された古琵琶湖層群に黒雲母花崗岩の風化物が堆積して生まれたもので、特に桃山時代からの茶陶に用いられた三郷山・白土山系の粘土は素晴らしいものがある。
 静かな山里・丸柱には現在約40の陶房(窯業)関連のお店が散在している他、県窯業センター、伊賀焼伝統産業会館等がある。
 今回は伊賀焼伝統産業会館を訪ねた。会館の敷地内の一角には研修用のミニ登り窯があり、陶芸の技術を若い世代に伝えていく努力を感じる。会館内には様々な展示があり楽しく歴史を学べるようになっている。

 


上画像左から伊賀焼伝統産業会館入り口、会館全景、敷地内にある研修窯。


上画像左から伊賀焼伝統産業会館内の展示風景、会館内でビデオを見てお勉強中の景山氏。

 「伊賀に耳あり、信楽に耳なし」といわれるように、耳は古伊賀焼の大きな特徴のひとつであり、その位置と形に作り手の情念が集約されている。大胆なへラ目は、その力強さが作品に躍動感を与える。豪快な野性美を醸し出す焦(こ)げは、窯の炊き口で燃料の松の薪が燠(おき)になり、積もり積もって器物と接しそこから炭素が入って生ずる。ガラス質の青緑色のビードロは、燃料の赤松の灰が焼成中に器物に降りかかり、灰に含まれている微量の鉄分が高温の還元焔により美しい青緑色となる。流れ落ちる釉だれは、灼熱の窯の中の炎の足跡である。伊賀焼の美の原点といわれる火色(ひいろ)は、粘土と燃料の薪と窯の中の温度が織りなす器物の表面に焼き付けられた伊賀焼のしるしである。ビードロ釉と対をなすすさまじい炎の息吹である。


伊賀焼伝統産業会館内の展示品の一部


伊賀焼伝統産業会館内の展示品の一部、伊賀にも染付けがあった。

 次に訪れたのは窯元の長谷園(御茶屋さんではありません)さん。ここの登り窯は江戸時代・天保三年(1832年)の創業時より使われていた窯で、かつては16部屋全部を焚き上げるのに2週間〜3週間かかったというこだ。この規模で歴史あるものとして現存するのは日本においてはこの窯だけだといわれている。


上画像左から長谷園舎屋、登り窯焚き口、登り窯を横から見たところ。


伊賀焼振興協同組合のホームページ

本文予定(制作中)