窯場の基礎知識・窯場巡り
唐 津 焼

唐津焼超簡単入門

 唐津の名は、韓(朝鮮)、唐(中国)への津(港)の意味からきている。かつてこの港から多くの焼き物が海をわたり、西日本においては焼き物のことを唐津と呼んだほどの隆盛であった。
 唐津焼は茶陶の世界では「一楽、二萩、三唐津」と言われ多くの茶人に愛されてきた。それは李朝の流れをくむ、力強さを備え、わび、さびを基調としていたからに他ならない。
 その種類は多種多様であり現在においても絵唐津(筆や指を使って鉄砂で絵を描き透明釉を掛けたもの)、朝鮮唐津(なまこ釉と黒飴釉を掛け分けて焼いたもの)、斑唐津(藁灰釉に微量の鉄粒を混入したものを掛けて焼くと青い斑紋が浮かび上がる)、粉引唐津(化粧がけし白泥釉が粉を引いたようになったもの)、三島唐津(印形や刷毛、掻き落しなどで象嵌したもの)等が焼かれている。
 下画像は左から絵唐津片口(17世紀)、朝鮮唐津水注(17世紀)、斑唐津皿(16世紀)、三島唐津茶碗(17世紀)、4点とも中里太郎右衛門窯古陶磁展示室のもの。

 

唐津焼の歴史

 唐津焼は現在的には唐津市で焼かれている焼き物を指しているが、もとは肥前、つまり現在の佐賀・長崎両県一帯で焼かれた焼き物の総称で唐津の港から各地に出荷されたので「からつもの」と言われるようになり「唐津焼」の名称が生れた。
 この地方で焼き物が焼かれるようになったのは、神功皇后の三韓出兵の時代にさかのぼることが出来る。朝鮮半島の三王子の1人の高麗小次郎が陶器を焼き始めたとの伝説が伝えられている。ともかく古窯跡や陶片などから見て中世には盛んに焼かれていたことは確かである。
 室町末期、波多氏により、現在の佐賀県北部、唐津の南方15キロほどにある東松浦郡北波多村に吉志見城が築かれ、鬼子岳(現、岸岳)に窯が築かれた。これが飯洞甕窯と呼ばれる窯で、熱効率などの点で、当時のわが国の水準をはるかにしのぐ物であった。ここでは日常用の甕や壺などがやかれていた。やがて鬼子岳の近くに帆柱窯など数箇所に窯ができ、壺や皿、鉢などを焼くようななる。
 波多氏は朝鮮半島や中国大陸沿岸にまで勢力を延ばした水軍であったことから、朝鮮半島の進んだ技術が既にこの頃もたらされていたのではないかと推測される。
 文禄3年(1594)に豊臣秀吉によって波多家は滅ぼされ城下町もさびれていく。「やきもの戦争」として有名な文禄の役の2年後のことである。もとから波多領の陶工や新たに朝鮮から連れ帰った陶工たちは、新領主寺沢氏の唐津領内に移り、窯を築き日常雑器を焼くようになった。これらが西日本一帯でやきものの代名詞として「唐津(物)」という言葉を生む土台になったのである。
(唐津焼を生産した窯跡群リスト)
 一方御用窯もでき茶器などの上手物を焼いてこれまた一世を風靡するようになる。のち明治維新で窯元の多くが崩壊するが、御用窯系の中里太郎右衛門窯など数窯が残ったが、かつての興隆を取り戻すのは中興の祖、中里無庵(12代中里太郎右衛門)の登場を待たなければならない。
 無庵は古唐津の技法の復元を目指し、斑唐津の藁灰釉、刷毛目などを始めとして、ついには叩きの技法の復元に成功し、人間国宝の指定を受けるにいたる。又、無庵を助けて復元に大きく寄与したのが、当代13代の太郎右衛門氏である。現在氏の弟の重利氏、隆氏はそれぞれ独自の窯を持ち、独特の作風の唐津焼を生み出している。
 江戸末期に創業され現在4代陶痴氏が継ぐ中野窯、楽焼を体験させてくれる鏡山窯他、現在の唐津には20余りの窯元があり、又東松浦郡一帯や武雄市に散在する窯元を含めるとその軒数は60に達する。左画像左は13代中里太郎右衛門氏、右画像は中里隆氏。


 中里太郎右衛門窯を訪ねる

 現代唐津焼の代表的窯元として最も著名なのはやはり中里太郎右衛門であろう。中里家の敷地内には工房や窯の他展示場、江戸時代に御用窯であったお茶碗窯の登り窯が現存する。
 左画像は入口に立つ、景山氏(右)と友人。右画像はお茶碗窯。苔むした御用窯は江戸時代からの伝統を物語る。
 下画像左から、明るい雰囲気の工房風景。展示室入口付近からの庭園風景。展示室の展示作品。
  



隆太窯を訪ねる

 中里家の5男である隆氏は唐津市内の見借という丘陵地帯の一角に隆太窯をかまえる。入口の前には「隆太窯前」と言うバス停があり、すぐにそれと分かる。モザイクのように引き詰められた石畳にはラテン語で「金をもってこい」の文字が埋め込まれている。主人一流のジョークであろう。工房他蛇窯や展示室、倉庫、母屋が谷川の流れる緑満載の敷地に点在する。(左画像はバス停付近からの眺望)
 まず、出迎えてくれるのが隆太窯の碑(右画像)。自然石に彫られた隆太窯の文字は命名者てある故小山冨士夫氏の書である。

 ここの工房ではクラッシック音楽が流れ、にぎやかな雰囲気中、作陶作業が行われていると言うことだ。

 下画像左から、蛇窯の前に立つ景山氏。思わず撮ってしまったと言う見事に割木されうず高く積まれた薪。展示室に陳列されている隆氏作の緑釉花入(60万円)。同じく隆氏の作品で左が唐津三島水指(40万円)と右が斑唐津水指(40万円)。




唐津焼の主な窯元・作家

唐津焼窯元・作家一覧表              市外局番は全て 0955

名 称 代表者名 所在地 電話番号 陶芸体験 工房見学
鏡山窯 井上 東也 唐津市鏡4958 77-2131
佐志山窯 西川 一光 唐津市見借4557 74-2397  
松円寺窯 大石 正峰 唐津市菜畑3371-3 72-8010  
唐玄窯 島谷 啓介 唐津市千々賀2567-1 78-1615  
中里太郎右衛門窯 中里 太郎右衛門 唐津市町田3-6-29 72-8171    
中野窯 中野 陶痴 唐津市町田5-9-2 73-8881   ○(要電話)
宮ノ谷窯 熊川 好美 唐津市畑島字宮ノ谷5980 78-0231
幸悦窯 滝下 幸悦 東松浦郡浜玉町東山田2034 56-8123  
菅ノ谷窯 舛田 重信 東松浦郡浜玉町東山田2207-2 56-7841 ○(要予約)
曹源窯 小島 喜昭 東松浦郡浜玉町平原字阿渕校甲1064-1 56-2188  
中の辻窯 平山 賢治 東松浦郡浜玉町横田下 56-6589    
炎群工房 碇   健 東松浦郡浜玉町東山田1893 56-8681  
大杉皿屋窯 大橋  裕 東松浦郡北波多村大杉857 64-2315  
岸岳窯三帰庵 富永 祐司 東松浦郡北波多村岸山154 64-2123 ○(要予約)
杉谷窯異中庵 夏秋 隆一 東松浦郡北波多村稗田2490-2 64-2354 ○(要予約)
帆柱窯 中嶋 紀文 東松浦郡北波多村岸山375-29 64-2749
王天家窯 福田 泰山 東松浦郡厳木町岩屋880 63-2304  
椎ノ峯窯 中里 くすやた 伊万里市南波多町府招上1119 24-2500
土 平 窯 藤ノ木 土平 東松浦郡鎮西町鬼木 82-2970
小次郎窯 西岡 小十 唐津市ニ夕子4575-1 72-8911
凌 雲 窯 西岡 良弘 東松浦郡浜玉町南山3170 56-2025
隆 太 窯 中里 隆 唐津市見借433-1 74-3503
三 玄 窯 中里 重利 唐津市神田山口332 72-8664 ×
日在窯 鶴田 豊己 伊万里市大川町山口2040 29-3070    

唐津市内イラストマップ