| 薩 摩 焼 |
「薩摩焼」超簡単入門
薩摩焼の起こりは、文禄の役(1592年)、慶長の役(1597年)で朝鮮に出陣した島津義弘が、朝鮮より陶工を連れ帰ったことにあるとされている。薩摩焼は「白薩摩(白もん)」と「黒薩摩(黒もん)」に大別され、白薩摩は藩主の御用窯から発展したもので表面に貫入といわれる細かなヒビが入っているのが特徴。象牙色の肌に赤、青、緑、さらに金彩で動植物などの文様をほどこした豪華で繊細な逸品である。黒薩摩は庶民のための生活の器として用いられ、漆黒の光沢をもち、素朴で剛健な焼き物として人々の暮らしに溶け込んでいる。現在、活動している窯は、苗代川系(東市来の美山など)、堅野系(磯御庭、田之浦、長太郎窯など)、龍門司系(加治木町の龍門司窯)の三系統に大別され、400年の伝統の技に磨きをかけ、優れた陶器を作り続けている。(下参考画像左、黒薩摩・黒釉青流し皿、右白薩摩角皿)


| 年 号 | 年 | 西 暦 | 関係事項 |
| 文禄 | 元 | 1592 | 島津義弘、朝鮮出兵(文禄の役)に出陣 |
| 慶長 | 2 | 1597 | 島津義弘、朝鮮出兵(慶長の役)に再び出陣 |
| 3 | 1598 | 朝鮮陶工が鹿児島前之浜、東市来神ノ川、串木野島平などに上陸 | |
| 4 | 1599 | 朴平意が串木野窯(朝鮮式蛇窯)を開く | |
| 6 | 1601 | 帖佐に金海が宇都窯、 芳仲が八日町窯を開く | |
| 8 | 1603 | 串木野から苗代川に移住 | |
| 10 | 1605 | 元屋敷窯開窯、藩の保護をうけ、朴平意庄屋となる | |
| 13 | 1608 | 加治木に金海が御里窯、芳仲が龍口坂窯を開く | |
| 元和 | 2 | 1616 | 安一官、安三官、張一六 琉球に派遣される |
| 6 | 1620 | 鹿児島の竪野に金海が冷水窯を開く | |
| 寛永 | 元 | 1624 | 朴貞用、京峯石、成川白土発見。朴貞用が苗代川庄屋となる |
| 13 | 1636 | 金和、金林が肥前へ陶法修業に行く | |
| 慶安 | 3 | 1648 | 有村碗右エ門が御室窯仁清につき、錦手習得。冷水窯で錦手始まる |
| 寛文 | 3 | 1663 | 小野元立が元立院窯を開く |
| 7 | 1667 | 山元碗右エ門が加治木に山元窯を開く | |
| 9 | 1669 | 鹿児島高麗町から苗代川に移住。金貞が苗代川で陶法指導、五本松窯開窯 | |
| 延宝 | 元 | 1673 | 碗右エ門が加治木に湯の谷窯を開く |
| 元禄 | 元 | 1688 | 碗右エ門が高崎松尾坂に白石を発見し、加治木に 龍門司窯を開く |
| 宝永 | 16 | 1704 | 1748(寛延元)年まで苗代川への藩の保護停止 |
| 宝歴 | 13 | 1763 | 竪野に長田窯開窯 |
| 明和 | 元 | 1764 | 苗代川の御物窯を御定式窯と改める |
| 5 | 1768 | 芳工が竪野の長田窯で陶法修業 | |
| 安永 | 8 | 1779 | 芳工、彌五郎が共に肥前へ陶法修業に行く |
| 天明 | 6 | 1786 | 加治木島津家が彌勤皿山窯を開窯 |
| 寛政 | 5 | 1793 | 芳工、星山仲兵エが修業のため肥前・京都に行く。京都の錦光山宗兵エに学ぶ |
| 6 | 1794 | 芳工が花倉窯を開く | |
| 天保 | 13 | 1842 | 竪野に稲荷窯開窯 |
| 弘化 | 元 | 1844 | 苗代川で白さつま錦手を始まる、朴正官が錦手主取りとなる |
| 3 | 1846 | 苗代川に南京皿山窯開窯 | |
| 安政 | 2 | 1855 | 島津斉彬が磯邸内に磯窯を開く |
| 4 | 1857 | 苗代川の朴正官が磯御庭窯を指導する | |
| 万延 | 元 | 1860 | 加治木島津家が日本山皿山窯、都城島津家が宮丸窯を開く |
| 慶応 | 3 | 1867 | 朴正官、パリ万博に大花瓶を出品 |
| 明治 | 3 | 1870 | 田之浦窯開窯 |
| 6 | 1873 | オ−ストリア博に12代沈寿官、大花瓶を出品 | |
| 28 | 1895 | 仙巌窯開窯 | |
| 32 | 1899 | 有山長太郎が長太郎窯を開窯 | |
| 昭和 | 58 | 1983 | 島津家磯お庭焼窯、再興 |
黒薩摩・龍門司の現在
龍門司焼が錦江湾の最奥、加治木の町外れの茶碗屋集落に始まったのは元禄年間。そんな古い歴史を持つ龍門司焼が戦後いち早く企業組合を結成し共同窯を築き現在の形態を作り上げた。現在数軒の工房があるが古くからの窯元は龍門司窯のみとなっている。
特徴的な渋飴釉をはじめ、深みのある黒釉、鮮やかな三彩、珍しい鮫肌などが施された日用雑器は、素朴な中に優美さがうかがえる。
(下画像左から、名の由来となった龍門滝。企業組合では作業も焚きも共同でおこなわれる。5室ある登り窯では黒もんの他三島手や三彩も焼かれる)



龍門司探訪記

さて、今回我がつつみ陶友会窯元の景山氏と氏の朋友である山本氏が真夏の龍門司と苗代川を探訪した。尚、映像は山本氏のデジタルカメラで撮影したものを織り交ぜてご紹介していく。
現在龍門司は鹿児島県姶良郡加治木町にあり、鹿児島空港から車で十数分の距離である。戦後それまであった窯(東組・西組の2基、現在も古窯として残っている)を共同窯という形態で新しく作った物が現在にいたっている。企業組合では個別の制作は別として作業も窯焚きも共同で行い年8回ほど火を入れているそうだ。
左画像は共同登り窯の一室。窯内部にはびっしりと棚組みがされ、焼きあがった作品が見える。右画像は企業組合の作業場に、「オロ」とよぶ昔ながらの朝鮮式粘土精製施設がある。水に混ぜた窯土と軟石をこの中に貯蔵し、自然の働きで粘土にする。手間のかかる面倒な工程で、県内でもここにしか残っていない。今でもこの伝統の粘土精製法にこだわり「地元の窯土と軟石を使い、オロで精製して登り窯で焼く。この1つでも欠けたら龍門司焼でなくなる」と語る。
下画像左から組合作業場建物前の景山氏。粘土の原土置き場あたりを見る景山氏(落ちている粘土クズを吟味中!)。組合作業場内部。一番右は登窯の煙突部分。
さて、龍門司焼は黒もんに属するが苗代川と異なり器表に様々な技法が駆使されているのが特徴。細かい粒が器面を覆う鮫肌釉、蛇蝎釉、白土象嵌の三島手、飛鉋、緑釉と飴釉を流した三彩、黒釉に青流しなど、どれも大胆かつ鮮やかでありその上に素朴な味わいをあわせ持つ。
下画像左から黒蛇蝎釉(くろだかつゆう)茶碗。鮫肌釉茶壷。三彩小鉢。飛鉋(とびかんな)高台鉢。





右画像:龍門司の古窯。龍門司焼の里に初めて陶工が移ってきたのは元禄の始め(1688年頃)。その約30年後に現在の地に移り,以来昭和30年頃まで約260年余りの間稼働してきた窯。途中幾度となく改築されているが,一つの窯がこんなに長期間使われる例は珍しく多くの陶工たちの苦楽や生活が染み込んだ貴重な文化財となっている。
白薩摩・苗代川の変遷と現在
串木野の島平に上陸した朝鮮陶工達は,朴平意(1559〜1624)を中心に,慶長4(1599)年島平の東方丘陵地に串木野窯を築いた。この窯は薩摩焼最初のもので,「黒薩摩」が主で水甕から杯にいたるまで作られた。陶工達の串木野での生活は困難で苗代川に移住し,後には藩の保護を受けるようになり元屋敷窯を築いた。また,幕末には天草石を購入し,南京皿山窯で磁器も焼かれた。12代沈寿官(1835〜1906)は,1875年のオーストリア万国博覧会に大花瓶一対を出品し,ヨーロッパ人を初め多くの外国人に好評を得た。左画像の作品は,森山周運の絵付けで作られた大花瓶で,素地の余白を生かした豪華な牡丹がみごとである。
現在の苗代川の地名は美山。なだらかな起伏を見せて連なる丘と竹薮、そして玉山神社のたたずまいと、どこか異国の情緒を感じる。美山に窯元は十数件あり、黒もん白もんの両方が焼かれている。(参考リンク)
陶郷美山(旧苗代川)探訪記
鹿児島市から西へ約二十キロ。東市来町美山は、十余の工房が並ぶ陶芸の里だ。豊かな緑に包まれ、故浜田庄司は「村全体が名品の味」と喜んだ。美山は現在の鹿児島県日置郡東市来町にあり、鹿児島本線東市来駅からか鹿児島駅からバスでいける。バス通りである県道を中心に数百メートルの範囲で窯元や陶遊館等が散在しており昔からの薩摩焼を踏襲しつつ現在も県下最大の薩摩焼きの産地として十数軒の窯元が制作を続けている。
美山の案内図はこちらをご覧下さい(約170KB)

さて、ここからは景山氏と山本氏が苗代川を探訪した時のものである。画像は山本氏のデジタルカメラで撮影したものを織り交ぜて紹介していく。
先ず訪れたのは、佐太郎窯にある苗代川民陶館。佐太郎窯ではここ20年ほどの間、全国から200人近い陶芸家の卵を受け入れて指導してきた。古くからの技法を守り様々な賞を受けている。そんな伝統と歴史を展示しているのが民陶館であり、館内は自由に見ることがでる。内部にはあふれるばかりの作品群が無造作に陳列されており、古くからの黒もん白もんから現在の薩摩焼きまで様々な焼き物が手にとって鑑賞できる。
次に訪れた美山陶遊館でも薩摩焼きの様々な展示を楽しく観覧させていただく。
右画像は民陶館前で景山氏。下画像は民陶館内部の様子。

美しい山に囲まれた陶遊館には薩摩焼の窯元の作品が展示されている他、薩摩焼陶芸体験コーナーもある。
薩摩焼で忘れてはならないのが沈壽官であろう。今から四百年も前、豊臣秀吉の朝鮮出兵に加わった大名たちが、朝鮮から多くの陶工を連れ帰った。彼らが有田や萩などで始めた陶芸は独自の発展を遂げ、今ではまるで異なる味わいをもつにいたった。その一つである薩摩焼(鹿児島)の現在を代表する陶工の一人が、十五代沈壽官(ちんじゅかん)である。独特の「白薩摩」「黒薩摩」で、長い伝統に向き合った作品で現在も高く評価されている。
その工房が壽官陶苑としてここ美山にある。ここでは作品展示館のほかにも、歴代の作品を展示する収蔵庫や登り窯、絵付けなどの工房も見学できる。
左画像は台15代沈壽官さん。下画像左から壽官陶苑正門。作品展示館。展示館内部。
下画像左から壽官陶苑の登り窯。町中にも散在する古窯跡。
今回のレポーターとして景山氏と同行撮影してくれているのは、景山氏の古くからの朋友で山本氏。山本氏は焼物に深く興味を持ち、ここ数年は景山氏とともに各地の窯場を探訪し、秀作の収集もしている。最近景山氏の焼締裂線刻紋器の新作を自宅玄関前に飾られたそうで、その様子を御紹介しておく。(右画像がそれ)
さて、今回の薩摩焼に続き、次回以降小鹿田焼他を同氏の撮影映像を交えて特集していく予定です。お楽しみに!