| 信 楽 焼 |
「たぬきの里」信楽を訪ねて
琵琶湖の南端瀬田から、なだらかな山道を大戸川に導かれるように車で40分ほど登ると、緑豊かな盆地が広がります。標高300メートル、三重県と京都府に境を接する山間の町が信楽焼のふるさと滋賀県甲賀郡信楽町です。
信楽焼は日本六古窯のひとつに数えられ、古くは天平14年(742年)、聖武天皇の紫香楽宮造営にあたって、この地で瓦を焼いたのが発祥と言われています。しかし産業としての信楽焼のスタートは、鎌倉時代中期以後のことになります。鎌倉から室町にかけて、種壷や擂鉢といった農器が焼かれますが、室町末期侘び茶が隆盛すると、千利休、武野紹鴎によってこれまでの農器が茶陶として用いられ、信楽焼はその名を広めていきました。
江戸時代以降、現在まで、信楽焼は庶民の生活に深く根ざした様々な陶器を生産していきます。その種類の多さ、サイズ・デザインの多様さには目を見張るものがあります。現在でも花器、植木鉢、食器といった日用陶器や、建築用タイル、陶板、タヌキ、傘立て、茶陶器、庭園陶器など多彩な陶器が焼かれ、日本人の生活とともに歩んできた陶産地としての伝統が脈々と息づいています。
信楽町一帯は、良質の陶土の産地です。その陶土は可塑性とともに「こし」の強さに特長があり信楽焼の伝統である「大物づくり」に最適な土と言えます。また、信楽の土は、焼締めると「火色」(緋色)と呼ばれる独特の発色を見せ、その柔らかく暖かな味わいが大きな魅力のひとつになっています。



信楽の3つの景色
信楽焼鑑賞の大きな楽しみの一つは、古信楽に代表される無釉焼締の「土味」を味わうことにあります。無釉焼締の信楽の表面には、愛陶家の好む「景色」が現れることがあります。「景色」といっても無釉焼締の表面に山水画のような風景が書かれているわけではなく、この場合は「味わい深い観察ポイント」といった意味として使われています。もちろん、人為的なものではなく、偶然が生み出す窯変の有様を指しています。
@火色とは、焼成することによって器物の表面に現れるほのかな赤色の発色をいい、主として土に含まれる鉄分の再酸化によって発色します。窯変の一種で、湿度、焚き方などによって微妙に色合いが変化するので、人の力でコントロールできない、予測しがたい変化の様は「窯あじ」といわれます。
最も珍重される発色は、人肌を感じさせる暖かい火色で、信楽の白味のある土に一番よく映える色合いです。また、火色が全体にありながら部分的に白い箇所が抜けたようにできることを「ヌケ」といいます
A薪を燃料とする登窯や穴窯で焼成すると、器物の表面に薪の灰が降り積もり、さらにその灰が土の中の長石と解け合って青緑色や黄緑色のガラス質のよどみを作ったり、時にはそれが流れ出して「玉垂れ」と呼ばれる筋目を作ることもあります。こうした窯変を「ビードロ釉(深みのあるグリーンの場合)」あるいは「自然釉」と呼びます。
火色と同様に、微妙な条件の変化によってビードロは様々に変化します。
B登窯や穴窯などの燃料となる薪は、燃え尽きるとたくさんの灰を窯の中に積もらせます。この灰が積もる場所(火の前)に置いた器物は裾の部分が灰に埋まり、この部分に黒褐色をした溶岩のような発色が現れます。これを「焦げ」といいます。特に茶陶では、焦げの持つ錆びた色合いが珍重されています。
この他、C自然釉で胡麻を振り掛けたような模様をゴマといってこれも見どころの一つです。Dは他の作品やレンガなどにくっついた部分でひっつき、作品的には傷ですが茶陶では見どころとしているようです。EはBと同じように灰に埋まった部分ですが灰が溶け切って青白くなったものでサンギリと呼びます。(尚、参考映像はつつみ陶友会窯元の景山氏の作品です。)
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