もう春なんだなぁ……。空気が生温い。
真新しい制服と鞄を身につけた、新一年生と思われる喜びの塊の様な学生の姿が辺りに目立つ。
対照的に、この世のありとあらゆるアンニュイを詰め込んだかのような学生が、
溜息と共に絶望感を撒き散らしながら重い足取りで学校への道のりを歩く姿も目立つ。
ちなみに俺は、後者。
だが、生憎俺は重い足取りで学校への道のりを歩いていくわけにもいかない。
「ちくしょうあの野郎、めざまし時計30分ずらしやがったなあああ!!」
入学式当日から遅刻という都合上、全速力で走らざるを得なくなった。
* * * * *
「浩二、近藤浩二!……居ないのか、入学式の日から遅刻なんて何考えてるんだ……」
辺りにひそひそと話し声が起こり始める。
「入学式から遅刻かよ……」
「あいつのことだから、家でギャルゲーでもしてるんじゃない?」
「いや、寝坊して遅れただけかもよ?」
「斉藤も居ないのか!欠席にするぞ!」
「あっ!いますいますー!!」
「……はぁ、あいつのせいで俺まで休みにされるとこだったぜ」
「責任転嫁もいいところだよ斉藤……」
* * * * *
疲れた……。
最近運動していない(家に引き篭もっていた)せいか、少し走っただけで体力が無くなって死にそうだ。
「はぁ、学校に着いたらいきなり説教喰らうのか……面倒だなぁ」
説教受けると分かってて学校に行く生徒も見てて滑稽だろうな。
「いっそのこと、風邪ひいたって事にして休んじまうか……」
チュンチュンと爽やかな朝を演出するさえずりを響かせる小鳥も、今は恨めしい以外の何者でもない。
なぁそこの餌食ってる小鳥さん、人間の暮らしも良いもんだからさ、替わってみないか。
あ、いや今日だけでいいんだ。今日だけ学校に行ってくれれば良いんだよ。
「……はぁ」
例えば、いきなり小鳥が脳に直接テレパシーか何かでメッセージを送ってさ、
「わかった。ヌシの願いを叶えてやろう」
とかいきなりSFチックな展開に巻き込まれてあーだこーだするようなのでもいいんだ。
とりあえず学校に行きたくない。
「……はぁ」
これでため息何回目だろうな…。
「きゃあああ遅刻遅刻〜!!!」
ん?
どこかから、やたらと元気の良い叫び声が聞こえてきた。
遅刻遅刻?
フラグじゃん。
すっげー良くあるフラグじゃん。
曲がり角から出た途端にパンを咥えた女の子とぶつかって、
「ちょっとぉ、ちゃんと前見て歩きなさいよ!……ってこんな事してる場合じゃないわ。急がないと!!」
と、立ち上がった瞬間チラリと水玉模様の下着が見えてほんの少しラッキーな気分になったりして、
学校で指定されたクラスに行くと偶然にも同じクラスに配置されちゃったりして、
クラス内での自己紹介の時に、
「あーっ、さっきの水玉女!」
「あーっ、あの時のバカ男!」
なんて言う事が被っちゃったりして、
「なんだなんだ、もうカップル成立か?仲良くしろよ〜」
「ヒューヒュー♪」
なんて冷やかしの言葉をぶつけられたりして、
「こらこら、仲良き事は美しい事だが、見せびらかすのはやめろよ〜?」
なんて先生までノってしまったりして、
『「こいつはそんなんじゃありません!」』
なんてまたもや被っちゃったりして。
「お前頭おかしいんじゃないの?」とか言われそうな妄想を繰り広げている内に、
声は段々と曲がり角に近づいていた。
「おっと、こうしちゃいられない。早速ぶつかりに行ってやろうじゃないか」
気配を悟られないよう、慎重に曲がり角に近づく。
「もう、どうしてめざまし時計30分ずれてるのよ〜!!」
よしっ、今だ!
「おーっと、ごめーん!」
飛び出す。
「……って、あれ?」
そこには道路の向かい側を走る女子高生の姿。
……思ったより距離は遠かった。
が、まだ遅くはない。ここからでもぶつかってやろうじゃないか!
猪突猛進とはまさにこのこと。目標物へ向かって突進する。
なんとなく何かの気配を感じて右を見る。
辺り一面に広がる銀世界ならぬ、大型トラック。
「うっわああああああああ!!!!!!!!」
* * * * *
跳ね起きた。
「……あれ?」
俺もしかして死んだ?
辺りに広がる白色の壁。
端の方には、恐竜と思われる落書きの跡がある。
「トラックがいない……」
状況判断に必要な最低限の思考力を取り戻すまでの間、漠然と壁を見続ける。
そして十秒も経たない内に取り戻した思考力によって下された判断。
「あぁ、夢だったのか……」
あんなフラグが起こった時点でおかしいと思うべきだった。
ギャルゲーのし過ぎをそろそろ気にした方が良いのかもしれない。
妙にリアルだった、とは思うが。
そうだ、んなこと考えてる場合じゃない。今日は入学式のある日だったな。
時間は……えーと、時計時計……。
コンコン
控えめなノック音が聞こえる。
おかしい。
我が家には扉をノックするようなプライバシーを考える人物は居ないはずなのだが。
「あいてるよー」
誰だ。
気まぐれでノックする気になっただけならいいんだが、
泥棒にでも入られてたら困る。多分抵抗できない。
そう思うやいなや、快活な声と共に、ドアが勢いよく開かれた。
「おはようございます浩二様。朝ですよ!」
待て、これはまだ夢の続きなのか?
俺の思考力が完全に回復し、なおかつ目が腐っていないのならば、
目の前に見えている人は、メイド服を着た、綺麗なおねーさん……。
「え……だ、誰……?」
「お父様から依頼を受けてお手伝いに参りました、鎌田早紀と申します。浩二様、よろしくお願いします!」
「……へ?」
お手伝い?鎌田早紀?
お手伝いって何?え、え?父さんが?
「つ、つまりお手伝いってことは、メイドさんってこと?」
「そうですね、メイドと同じ様なものだと私は思いますよ」
く……父さんめ、隠れてそんな素晴らしいことを頼んでたのか。
俺の趣味を良く分かっている。感心なことだ。
「あー……メガネメガネ」
家族に自分の萌え属性を周知されていることには敢えて突っ込まず、
視界を明瞭なものへとすべく、手探りで枕元のメガネを取ろうとする。
「あ、メガネですね。はいどうぞ」
「あ、わざわざすいません。えーと…早紀さん」
辺りがよく見えないので、早紀さんの朗らかな声が聞こえた方向へ手を伸ばす。
ふにょっ
まるで転んだ弾みに胸を掴んでしまった的な、アニメじみた効果音が聞こえた。
「あんっ、やだもう。お盛んな時期なのは分かりますけど、人の胸をいきなり触るのは良くないですよ?」
アニメだった。
「ご、ごめんなさーーーーーい!謝ります!死ぬ気で謝ります!むしろ死にます!悔いはありません!!」
死にたいオーラ爆発中。
「あわわわそんなに謝らないでください!お父様から色々聞いておりますから〜!」
「……色々?」
危険レベル無限大で、俺の体中に悪寒が走る。
「はい、美少女ゲームのことや、妹さんのことや、昔好きな子をストーキングしていたことや……」
「ごめんなさーーーーい!そんなつもり無かったんですごめんなさーーーい!うわーうわーうわーやーめーてぇー!」
とんでもない爆弾仕掛けてやがった……。
てか何時の間にストーキングしていたことを知られて……。
はっ、まさか机の奥に二重の鍵まで掛けて厳重に隠した(ピー)な本まで見つかってないだろうな。
まさかとは思うが、知らないうちに借りられていたりはしないだろうか。
じっくり堪能された上で「こんなもの見てるんじゃない!」なんて言われそうだ。
どうしようどうしよう俺はそんな親に育てられた覚えはないぞ!!
「あ、あのう…メガネはよろしいんですか?」
唐突に、めくるめく妄想の世界から現実へ引き戻された俺は、
視界を明瞭にして入学式へ向かわなければならないことを思い出させられる。
「そうでした。メガネお願いします」
「あ、メガネですね。はい」
カチャ
レンズ越しの両目は、恐竜の落書きを細かな所までも鮮明に取り込めるようになっていた。
机の上に乗せられためざまし時計を見ると、8時2、3分辺り。
「……うん。まだ間に合う時間だな」
学校の始まる8時30分と道のりを行く時間10分を考えても、食事を取る暇くらいはあるだろう。
「朝食できてますから、仕度できたら来てくださいね〜!」
声が聞こえると同時に、軽やかなリズムで階段を駆け下りていく音が聞こえた。
「はぁー……」
「……朝から疲れた」
こんな体験をした人間なんぞ俺以外に居るのかどうかすらも疑わしいが、
この妙な疲労感を分かってくれる人は居るのだろうか。
「綺麗な人だったなぁ……」
正直、話すだけでもかなり緊張した。
あの人が近藤家のメイドだと思うとゾクゾクしちゃうね。
寝起きとか少し困っちゃうかも。
そのままベッドへ倒れこんでしまいたかったが、入学初日からそれをすると
何かが崩れてしまいかねないので、身体にムチを打ち、真新しい制服を着て1階へと向かう。
階段を降り、居間に通じるドアを開けると香ばしく焼けたパンとコーヒーの香りが漂っていた。
いつの間にやら読みかけの本や空のペットボトルなども、すっかり掃除されている。
「早紀さん凄いですねぇ。掃除が出来る人って尊敬しますよ」
「それほどでもないですよ。習慣にしてしまえば、案外簡単なものですよ?」
「いつも父さんが掃除していたからなぁ……」
あぁ、そういえば父さんいつイギリスから帰ってくるんだろう。
母さんも……、母さんは仕方ないか。
「ふぅ……」
思い出したくないからさっさと食べて学校に行こう。
「…………」
「…………」
目の前に置かれたパンを、作業的に口の中に詰め込む。
「…………」
「…………」
詰め込む。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
やばい……。
いつの間にか気まずい空気になってしまった……。
俺のせいか?俺のせいなのか!?
……どうしよう、何か話した方が良いのかな。良いに決まってるよな。
早紀さんって何の話題が好きなんだろう……。
困ったなぁ……。
そもそも引き篭もりの俺が社交的な態度を取ろうだなんて無理な話なんだ。
自慢じゃないが、女性と話したとして、
「昨日の映画見た?」『ごめん、見てないんだ』「あ……そうなんだ……」『うん……』
くらいで途切らせてしまう自信はある。
…泣き言を言っても仕方ないな。
とりあえず何か切りださないと。
「早紀さんって、どのパンが好きなんですか?」
「ごめんなさい、私パンは余り食べないんです……」
「あ、……そうなんですか……」
「はい……」
死にたい。
もういいや、黙々と食べてしまおう。
黙々ともぐもぐ。なんでもない。
「…………」
「…………」
「8時45分!8時45分!」
「うわっ」
テレビから、大音量で現在時刻の放送が流れる。
不意を突かれたお陰で、少しだけ驚いてしまった。
「あぁ、8時45分かぁ……」
と、そこで我に返る。
おかしい、さっきまで8時だったはずなのに。
「ちょっと2階見てきます」
「あ、気にせずどうぞ〜」
階段を駆け上り、部屋のめざまし時計を手に取る。
8時15分。
この2つの事象から導かれる解答ぞ、言わずもがな。
時計が30分ずれている。
やばい。
どのくらいやばいかと言うと、「ソーダ飲んで死んだそーだ」とか小学生の笑えない冗談なくらいやばい。
ほんとに笑えないな、ごめん。
人生最大級の危機を察し、大急ぎで鞄を持って階段を降りる。
ドタドタドタドタ!
「あら、どうしました?急いでるようですけど」
「ごめんなさい、いってきます!」
視界の隅に、呆然と立ち尽くしている早紀さんの姿がチラリと見えた。
こうしてはいられない。一刻も早く学校へ向かわなくては。
「ちくしょうあの野郎、めざまし時計30分ずらしやがったなあああ!!」
第一話 終