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第三話

実に、微妙な気分を味わった。

どうしてあの子は僕に話しかけてきたんだろう。
あまつさえ、花瓶の水を掛けてきたんだろう。

こんなことは、高校で過ごしてきた中で初めての経験だった。

僕は、人から避けられていたはずだ。
他人を見るという僅かな接触があっただけで相手が泣き出すほど、
嫌われ忌避されていたとずっと思っていたのに。

……我慢も限界になって、衝動的に攻撃してしまったんだろう。
それでいいや。

いや、よくない。
あの子は、小さな声で「ごめんなさい」と言っていた。
きっと、本当はやりたくなかったから、ああいうことを言ったはずだ。
僕に声を掛け、水まみれにしなければならないほどの、
何かの理由があったんだ。

考えれば考えるだけ、僕の心は絶望に侵食されていく。


結局のところ、非日常にあたる出来事は他に何も起こらず、
長い長い今日の授業が、全て終わった。

それでもなお、僕は「ごめんなさい」の一言を引きずっていたが、
学校という束縛から解放される喜びから、苦悩も軽減されていた。

帰りのホームルーム。
相変わらず、先生は必要以上に長ったらしい話をしている。
要約すると「交通事故に気をつけて」の一言で済んだ。
みんな帰りたがってるんだから、引き止めなくたっていいのにと思う。
交通事故なんて、気をつけてどうにかなるもんじゃない。

そもそも、僕に対しては何の心配もないのに、間接的とは言えこんな話を聞かされるなんて。

もし僕が交通事故で死んだとしたら、間違いなくみんなは喜ぶだろう。
気をつけてと言った先生ですら、本心では喜ぶだろう。
……多分、家族も。

死んでいい人間なんて一人も居ないとはよく聞くけれど、
僕は、数少ない例外の内の一人だと思う。
死後の周囲の反応には興味があるけれど、結果が分からないのでは本末転倒だ。
なにより、こんなゴミのような僕でも、死ぬのは怖い。

「きりーつ」

「れーい」

「さようならー」

クラス一同から無気力な声が発せられた。

ともかく、今日はこれで終わりなんだ。
こんな居心地の悪いところに居る必要はない。
家でゆっくり考えればいい。

ずっしりと重いカバンを持ち上げ、昇降口に向かう。
さっきのように、特別なイベントに遭遇するんじゃないかと考えていたが、
いつも通り、通路では誰の姿も見ることはなかった。
念のため早足で歩いたが、昇降口でも人の気配は感じない。
ほんの少しだけ、安心した。

下駄箱最上段、左から3番目の扉を開ける。
適当に中を探って、外靴を取り出した。

取り出した手には、見紛う事なき自分の靴。

そして、白い手紙があった。

途端、僕は得体の知れない恐怖に襲われた。

僕は、他人から無視されている生活が当然だったはずだ。
わからない。
手を出されるような事は高校になって一度もなかったのに、
今日になって他人から存在を認識された。

このまま、人間として相手をされはじめてしまったら。
水を掛けるような行為が、さらにエスカレートするのだろうか。
心配の要らない生活が壊れていく情景が、いとも簡単に浮かび上がった。

無意識に、僕は家へと走り出した。

怖い。
わけがわからない。
今、何かと出会ったら、何が起きるかわからない。
水を掛けられた時のように、見知らぬ人に何かされるかもしれない。
交通事故で、死んでしまうかもしれない。
何か、怖いことが起きてしまうかもしれない。

手紙とカバンを握り締め、狂ったように走った。
ご近所さんが居たかどうかなんて、全く記憶になかった。


意識が戻った時、僕は部屋のベッドに横たわっていた。

あれだけ太陽が照り付けていたのに、外は既に真っ暗だ。

寝ていたのだろうが、あれが夢なのか現実なのかがはっきりしない。
記憶が所々断片化しているし、最後の方なんて全く覚えていない。

「……夢にしよう」

夢にした。
決め付けた。

垂れ下がった紐を引っ張って、部屋内の電気をつける。

同時に、自分の馬鹿さ加減を思い知らされた。

一も二も無く、夢から現実に引き戻された。


机の上には見覚えのある、しわくちゃの白い手紙。

しかも、何故か封が既に切られている。
僕は横に置いてあった、中に入っていたであろう用紙を手に取り、
恐る恐る内容を確認した。


   メールしませんか。
           ○○○○○○@mailaddress.com


それだけが、書かれてあった。

第三話 終


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